2020年07月30日

『街角図鑑 街と境界編』に寄稿しました

『街角図鑑』の続編、『街角図鑑 街と境界編』がそろそろ書店に並ぶようです。僕は前回「装飾テント」を寄稿しましたが、今回は「玄関灯」を寄稿しました。企画者の三土たつおさんを始め、15名の都市鑑賞者たちが写真と文章を寄せています。

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見本誌が届いたのでさっそく読んでますが、どのページにも「街で見たことあるもの」が載っていて、どのページにも今まで知らなかったことが書いてある。やっぱり面白い。

以下が目次です。カッコ内がその章の執筆者で、それ以外は三土さんの執筆となります(編集担当の磯部さんも「橋」を執筆)。

【街にあるもの】
配管
足場(小金井美和子)
玄関灯(内海慶一)
エアコン室外機(斎藤公輔)
ガスメーター
電気メーター
給水塔(小山祐之)
商店街
神社
路上園芸(村田あやこ)
残余地(島野翔)

【私たちを取り囲んでいるもの】
道路・歩道・通行帯
交差点
坂道
階段
歩道橋
踏切
高架橋脚(田村美葉)
見える地下(小金井美和子)
公園を観察する(石川初)
公園遊具
東屋(高橋英樹)
公園遊具
パーキングスケープ(八馬智)
駐車場

【街と街の間にあるもの】
川そのものと周辺のいろいろ
ダム(萩原雅紀)
田んぼ


トンネル
鉄塔(加賀谷奏子)
都市鑑賞とは何か(大山顕)

僕がこのシリーズをいいなと思うのは、「図鑑」を名乗りながら、専門家ではなく「鑑賞者」がメインで参加しているところ。各分野の「中の人」とか研究者に執筆を依頼するという選択肢もあるはずだけど、主に「それをずっと見ている人」が執筆しているのです。

鑑賞者側からの目線でつくられていることが、本書をユニークなものにしている。そしてあらためて驚くのは、それを成立させる各ジャンルの鑑賞者がいるということです。よく考えたらすごい。

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ところで、本書の最終章に大山顕が「都市鑑賞とは何か」という文章を寄せています。とても大切なことを言ってると思うので、少し紹介します。

以下、僕なりにパラフレーズしてみました(パラフレーズって一回言ってみたかった)。大山さんはだいたいこんな感じのことを言ってます。



よく「独自の視点」という言葉で、さもそのような「能力」が存在するかのような言い方をする人がいるが、そんなものはない。都市鑑賞者の「視点」は、見るという「行為」と一体なのであって、「視点」のみが先行して備わっているわけではない。

対象を見るという「行為」が、自己にフィードバックして「独自の視点」を得るということは、あるだろう。しかしそれは「見た」から得られたのだ。見るという「行為」が「視点」に影響を与え、影響を受けた「視点」が今度は「行為」に影響を与える。その往復こそが重要なのであって、二つを切り離して考えることは無意味だ。



適切に要約・言い換えができているかどうか分からないけど、上記のような主張が核になっているはずです。たぶん。

また、大山さんは、「実行」こそが価値なのであり、見る「理由」なんてどうでもいいことなのだと言います。

次に、「都市鑑賞とは何か」から文章の一部をそのまま引用します。

《「独自」なんてくだらない。それは幻想だ。そんなものは必要がない。世界中の人が工場を団地を見て回るべきだと思う。鉄道趣味が素晴らしいのは、多くの人が参加しているからだ。》

《「アイディア」も「視点」も架空のもので、あったとしてもそれは誰かからの借り物だ。》

《動機やきっかけなど大したものではない。重要なのは鑑賞を続ける、ということだけだ。》

そう、見続けること。僕も「見続けた人だけが体験できる世界」があると思っています。『街角図鑑』に興味を持ったら、次はあなたもぜひ、何かをしつこく見続けてみてください。対象はなんでもいいんです。都市鑑賞って、面白いよ。

あ、正確に言うと「面白くなる」よ。見てるうちに。


『街角図鑑 街と境界編』
三土たつお 編
実業之日本社
四六判160ページ
2020年8月3日発売
本体価格 1700円+税
ISBN 978-4-408-33941-2




posted by pictist at 00:13| 執筆

2020年07月28日

10年ぶりの100均フリーダム

久しぶりに100均でフリーダム商品に出会ったので、鑑賞文を書きました。自由は死せず。

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見る向きはこれで正しいのか。まずそう思ったが、これで合っているようだ。商品名は「ぶら下がりザウルス」。恐竜のキャラクターらしい。手足の関係が、にわかには把握しづらい。一番下に突きだしている大きな膨らみはなんなのか。しっぽなのか。
ここには、曖昧さの肯定がある。漠然としてたっていい。分かりやすくきれいに整った形は気持ちいいかもしれないが、ぐだぐだにはぐだぐだなりの魅力があるのだ。2ヶ所ある糸のほつれも、いいアクセントになっている。
フリーダムの火はまだ消えてないよ、と100均作家がメッセージを送ってくれているような気がした。


>>『100均フリーダム』の思い出(1)
>>『100均フリーダム』の思い出(2)




posted by pictist at 21:28| 執筆

2020年05月24日

『散歩の達人』で対談しました

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片手袋研究家の石井公二さんにお声がけいただきまして、『散歩の達人』2020年6月号で対談をしました。いただいたお題が「今の路上観察シーンから赤瀬川原平を振り返る」というものだったんですが、どちらかというと「いまの路上観察シーン」のほうに重点を置いた話ができたかな、と思っています。

石井さんとは以前からお話がしたかったので(石井さんは大学の卒論テーマが赤瀬川原平という筋金入り)、良い機会をもらえました。Zoomで2時間くらい話したんだけど、楽しくてあっというまでした。石井さん、またぜひおしゃべりしましょう。

6月号の特集は「ご近所さんぽを楽しもう」。「文字」「電線」「野草」「旧町名」「暗渠」などさまざまなジャンルの都市鑑賞者たちが登場していて、読みごたえがありますよ。『ほじくりストリートビュー』を連載している能町さんもコラム「バーチャル散歩講座」で参加。

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この対談ではピクトさんの話は特にしなかったんですが、ページが非常口カラーになっててうれしかったです。


【追記】ウェブにもアップされました。
都市鑑賞者と片手袋研究家が語る、路上観察の今昔〜赤瀬川原平を振り返る〜





タグ:都市鑑賞
posted by pictist at 00:49| 執筆

2019年08月25日

「express」に寄稿しました

セゾンカード会員誌「express」2019年9月号のピクトグラム特集に寄稿しました。「ピクトさん、いつもありがとう」と題して国内外のピクトさんを2ページにわたって紹介しています。

1964年東京オリンピックのピクトグラム制作メンバーの一人だった原田維夫さんのインタビューもあり、読み応えのある特集になっています。

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タグ:ピクトさん
posted by pictist at 23:54| 執筆

2018年12月31日

『街角図鑑』繁体字版&簡体字版

「装飾テント」の執筆で参加した『街角図鑑』(三土たつお編著/実業之日本社、2016年)の繁体字版と簡体字版が今年刊行されました。

こちらが繁体字版。台湾で販売されているものです。

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装飾遮雨棚!

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プロフィール欄も面白かったです。「文字工作」っていいな。名刺の肩書きこれにしようかな。『ピクトさんの本』が『小緑人之書』。『100均フリーダム』が『百元商店的自由』。

そしてこちらが中国で販売されている簡体字版で、『一街一世界』。 タイトルも装幀も変わって、また違った佇まいになっています。

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逆に台湾や中国には街角図鑑的な本ってないのかな? 見てみたいですよね。またはこれを見た台湾や中国の人が、それぞれの国で街角図鑑的な本をつくってくれたらうれしいなあ。




posted by pictist at 20:26| 執筆

2018年11月26日

『生活考察』vol.6に寄稿しました

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『生活考察』が約5年の沈黙を破って復活しました。創刊号からずっと書かせてもらっているのですが、今回も寄稿しています。
タイトルは「ちいさい季節」。ツイッターで募った「人それぞれの、多様な季節感」をまとめました。春・夏・秋・冬と集まった中から、今回は「秋」篇を紹介しています。あなたの知らない秋が、きっとあるはず。


「生活考察」Vol.06

話題の書き手たちの生活エッセイを多数収録し、読書界の注目を集めた“ある種の”ライフスタイル・マガジンが、約5年の沈黙を破り「タバブックス」より復活します。ともすれば、あっさりと取りこぼしてしまう、ささやかな生活の断片。そこから導き出される「考えようによっては得るところがある」かもしれぬ<何か>ーー。「生活」を想像力で照射する雑誌、それが「生活考察」です。

編 辻本力
デザイン 内川たくや
発行 タバブックス
定価  本体1000円+税 
A5判・128ページ 
ISBN978-4-907053-29-1
発売 2018年11月27日

<寄稿>
浅見北斗(Have a Nice Day!) 「バビロンとファックしよう’18」
内海慶一(文筆家/都市鑑賞者) 「ちいさい季節」
海猫沢めろん(小説家) めんどくさいしどうでもいい 第6回「テロ」
円城塔(小説家) かきものぐらし 第6回
王谷晶(小説家) 「未来世紀豚汁」
大谷能生(音楽家) ディファレント・ミュージックス 第6回「レコードを洗う」
太田靖久(小説家) 「『犬の看板』探訪記 《茨城犬篇》」
岡崎武志(ライター) 「油絵を描くと生活は」
小澤英実(文学者) 「あたし、この戦争が終わったら……」 第6回「ぼくらが旅に出る理由」
春日武彦(精神科医) 文章秘宝館 第1回「赤い四角形」
岸本佐知子(翻訳家) もにょもにょ日記 第1回
栗原裕一郎(批評家) おまえはベイビー 第1回
古谷田奈月(小説家) 「生活に適した想像」
佐々木敦(批評家) 普段の生活 第6回「旅する普段の生活ふたたび」
須藤輝(ライター) カラダのこと 第3回
辻本力(『生活考察』編集発行人) 「悩ましきバナナ」
林哲夫(画家/古本ライター) 好きなことだけして暮らしたい 第6回
速水健朗(ライター) 都市生活者のためのアーバン・ミュージック・ガイド 第5回
panpanya(漫画家) 「街路樹の世界」
福永信(小説家) 日付と時間のある文章 第6回「年譜のある文章」
藤原麻里菜 (文筆家/映像作家) 「記憶と思考ぶつかり『無駄』が生まれる」
butaji(音楽家) 「告白の作り方」

<鼎談>
春日武彦(精神科医)×穂村弘(歌人)×海猫沢めろん(小説家)
「僕らは大人になれたのか?ーーこれからの“成熟”考」
 生き方が多様化し、「大人」の在り方も、今と昔とでは様変わりしているように感じられる現在。 この時代に「大人になる」「成熟する」とは、果たしてどういうことなのか? 悩める精神科医、社会的常識への違和感を綴る歌人、新時代のイクメン小説『キッズファイヤー・ドットコム』の著者が、それぞれの視点から、現代における「大人像」に迫ります。

<ルポ&対談>
柴崎友香(小説家)×滝口悠生(小説家)
「散歩と文学ーー歩くこと、考えること、そして書くこと」
「歩く」描写の多い小説家は、自身が歩く時、その土地の何に着目し、どんなことを考えるのか? 人気作家2人が実際に散歩する過程を追ったドキュメント。「歩く」ことと小説との関係を考える対談も読み応えたっぷりです。





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posted by pictist at 08:05| 執筆

2018年04月16日

知覚の輪郭 - 『路上と観察をめぐる表現史 ──考現学の「現在」』より

2013年に広島市現代美術館で開催された「路上と観察をめぐる表現史―考現学以後」展に合わせて刊行された公式書籍『路上と観察をめぐる表現史 ──考現学の「現在」』(フィルムアート社、2013年)に寄稿したコラム「知覚の輪郭」を以下に転載します。


知覚の輪郭
内海慶一

 町を歩く。立ち止まる。見る。カメラに収める。そんなことを長いあいだ続けてきた。観察対象はさまざまだが、なにを見ても最後に残るのは同じ感情である。見慣れた風景が、だんだん別の貌に変わっていく。よく知っているはずの町が、初めて訪れた場所のように思える。凝視すればするほど世界が拡散していく。やがて視線は対象にぶつかって跳ね返り、自分を覗き込む。

 たとえば「玄関灯」を観察してみようと思いつく。町を歩きまわり、各戸の玄関先に設えられた玄関灯を撮影していく。その中には知人の家もある。何度も訪れたことのある家だ。かつて玄関灯をふと見上げたこともあっただろう。しかし私はその日初めて、その家の玄関灯を認知する。造形の個性に気づく。一瞬、日常が組成変更したような感覚に襲われる。

 さらに町を歩く。玄関灯を撮り続ける。そのうち「門灯」に出くわす。門灯は玄関灯だろうか、と自問する。撮影するかどうか判断に迷う。さらに歩く。住宅街を抜け、繁華街に出る。飲食店の入口の照明器具が目に入る。これは玄関灯だろうか、と自問する。また判断に迷う。歩きながら考え始める。どこからどこまでが玄関灯なのだろう。対象を見つめながら私は、対象に見つめられていると思う。

 やがて玄関灯とそうでないものの境界線がぼんやりと浮かび上がってくる。その境界線は定義を規定するものではない。それは、私の知覚の輪郭である。その輪郭は風紋のように少しずつ変形し続ける。いつのまにか私は、私を観察している。

 今和次郎や吉田謙吉の仕事を知ったとき、先人たちも同じ感情を抱いただろうと想像して嬉しくなった。
 たとえば吉田謙吉の「門の移動的採集」という記録がある。町のさまざまな「門」をスケッチしたもので、スライドショーをするようにそれぞれの門を順に解説していくという内容である。瓦葺きの門。レンガづくりの門。鉄門。丸太でできた門……

 門扉がなく門柱だけが立っているものも吉田は「門」として採集している。やがて住家のみならず建設現場を囲う板塀や遊園地の出口なども登場し、ついには洗濯物のかけられた物干し竿までが「門」の仲間入りをする。

 吉田が門をスケッチしながら巡らしたであろう思考の流れが、私には見える。門を見続けるうちに「門とはなにか」という問いが生まれ、やがて知覚の輪郭が浮かび上がる。そのとき、風景の中にもう一つの風景が現れる。実際に町を歩き凝視した者だけが感じる不思議な興奮を、彼も経験したに違いない。

 観察表現というものがあるとするなら、観察者ごとに異なる知覚の輪郭こそが、観察行為を表現たらしめるだろう。
 観察者は科学者ではない。絶対不変の真理を追究する者ではない。観察者は都市を渉猟し、その眼差しの軌跡で詩を綴る。


『路上と観察をめぐる表現史 ──考現学の「現在」』(フィルムアート社、2013年)

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タグ:都市鑑賞
posted by pictist at 23:40| 執筆