2018年11月26日

喜多村病院(大正11年開業)を見学したよ

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岡山市北区野田屋町に喜多村病院という医院があります。地元の方なら「小便小僧があるところ」と言えばピンとくるかもしれません。大正11年(1922年)に喜多村練三氏がこの場所に開業。90年以上の歴史を持つ医院です。この小便小僧も開業時から立っているもの。

喜多村病院は、岡山で最初に「小児科」を掲げた医院なのだそうです。それで小便小僧があるんですね。小児科のサインとしてつくったのでしょう。現在は小児科ではなくお年寄りの入院介護・治療が主になっているようです。

建物は昭和20年の岡山大空襲で焼けてしまいましたが、小便小僧は難を逃れ、今も玄関先に立ち続けています。また、確認はできなかったのですが、煉瓦造りの台座部分もおそらく空襲を免れたものなのではないでしょうか。

戦後に建て直したとはいえ、すでに築70年以上経つレトロ病棟。貴重です。中を見てみたいなーと思っていたところ、このたび喜多村病院さんのご厚意で院内を見学させていただくことができました。

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左側に少し見えているのが新館。小便小僧のあるほうが旧館。現役です。

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受付前のガラス窓には手書き文字が。職人技です。

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処置室

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検査室

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階段を登ると……

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1階と2階の間の踊り場が休憩場所になってるんです。佇まいがかわいい。

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踊り場

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真鍮の手すりがいい感じの経年光沢を帯びています(今つくった造語です。経年光沢)。

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暗室。昔はここでレントゲン写真を現像してたんですね。

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暗室の入口。小窓がついてます。

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ここは2階。右下に見えているのが先ほどの暗室。そしてこの階段の上にあるのはトイレなのです。半階上がるようになっているという。ちょっと珍しい構造ですよね。1階にあるトイレは逆に、地下へ半階下がる構造でつくられていました。

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清浄室=W.C

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號。院内のいたるところに旧字が残っています。

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木窓もだんだん少なくなってますね。

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配管をむき出していくスタイル。

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喜多村病院さん、見学のお願いを快く受けてくださり、どうもありがとうございました。

考えたらあと3年ほどで開業100周年ですね。つまり小便小僧も100歳になるわけです。小僧なのに100歳。100歳なのに小僧。お祝いしましょう、2022年に。




posted by pictist at 12:51| 都市鑑賞

2018年04月06日

岡山禁酒会館

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岡山禁酒会館は大正12年(1923年)に竣工した木造3階建ての建物。禁酒運動の拠点としてつくられ、また飲食事業もおこなっていた。建物は2018年現在も現役で使用されており、1階はカフェ、2階〜3階は貸事務所やイベントスペースとして利用されている。

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岡山市の中心部にありながら岡山大空襲による焼失を免れた数少ない建物だ。外観の意匠も見どころだが、館内の階段や廊下、窓、ドアなどの内装も鑑賞ポイント。2階には小さな資料室があり、当時使われていたロゴ入りのカップやソーサー、オリジナルサイダーの壜なども展示されている。登録有形文化財。

(岡山市北区丸の内1-1-15)

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posted by pictist at 15:39| 都市鑑賞

2018年03月31日

送水口博物館に行ってきたよ

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【送水口ファンと送水口メーカーの出会い】

2月に新橋の送水口博物館(ソーハク)を訪れた話です。

ここは消火設備の総合メーカー「村上製作所」の社長が、自社ビルの屋上につくった小さなスペース。2015年の開館時からぜひとも訪れたかった場所だったのですが、このたびの東京滞在でついに初訪問が叶いました。

なぜ、ぜひとも訪れたかったのかというと、直接的な理由としては友人の送水口ファン、キムチさんが関わっている場所だから(そして僕も遠い遠い関わりがあるから)なんだけど、なにより、伝え聞いている「送水口博物館ができた理由」が胸を打つものだったから。

ものすごく約めて言うと、送水口博物館は、村上製作所の村上社長が送水口ファンと出会ったことによって誕生したスペースなのです。

どういうことか。それにはまず、AYAさんという送水口ファンの紹介から始めなくてはなりません。僕がAYAさんの存在を知ったのは2012年、ツイッターでした。プロフィールをたどると、ずいぶん昔から送水口のウェブサイトを運営なさっているらしい。

「こんな人がいたとは!」と興奮して、すぐキムチさんに教えました。「仲間がいたよ、よかったねー」という気持ちで。(ただ、僕はこのときのことをすっかり忘れていて、あとでお礼を言われて「そういえば」と思い出したんだけど)

のちに知ったのですが、このとき「仲間がいた」ことの喜びが大きかったのは、むしろAYAさんのほうだったようです。

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【AYAさんのロンリー送水口ライフ】

AYAさんは1998年頃に「送水口倶楽部」というホームページをつくり、送水口愛好活動を始めました。他サイトとの交流はあったそうですが、送水口ファンに出会うことはなかったそうです。送水口愛を語り合える仲間が一人もいなかった。

そして2005年頃にお仕事の都合もあり、送水口活動を休止します。数年間のウェブ活動の中で「私も送水口が好きです」という人と知り合うことは、ついにありませんでした。

それからまた数年経った2012年、AYAさんは送水口活動を再開します。新しくブログをつくり、ツイッターも始めました。それが8月。僕がAYAさんを見つけてキムチさんに紹介したのが11月のことです。

ホームページを開設した1998年から数えて14年。AYAさんはついに仲間に巡り会ったわけです。僕がふと送ったメンションが、そんなに運命的なものだったとは。

好きなモノの対象は違えど、同じ偏愛系人間として、とてもうれしいできごととなりました。

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【送水口ファン、村上製作所を発見する】

そして翌2013年、AYAさんとキムチさんが対面(二人が首都圏在住だったこともラッキーでした)。また同年にはAYAさんが主催してキムチさんと共に第1回「送水口ウォーク」を開催します。

この前後の時期に暗渠ファンやマンホールファンの方とも交流し、似た好奇心を持つ知り合いが増えていったそうです。孤独な14年間が嘘のよう。

もちろんキムチさんにとっても同じだったと思います。キムチさんも一人で送水口活動を始めたわけですが、当初は、一緒に送水口を見て歩く仲間ができるとは思ってなかったのではないでしょうか。よかったよかった。

2014年、第2回・第3回「送水口ウォーク」開催。このイベントに参加したメンバーの一人が、ネット検索で送水口メーカー・村上製作所の存在をつきとめます。当初は「このロゴが入った送水口は、御社がつくったものですか?」と確認するためでした。そういう内容のメールを送ると、「たしかにうちの製品ですよ」との回答。しかしそのあとに意外な、そしてうれしい言葉が続いていました。

「送水口のファンがいるんですか? ぜひ弊社においでください」
そんな気前のよい返信をくれたのが、村上善一社長だったのです。

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【送水口博物館の誕生】

村上社長は「送水口のファンがいる」ということに驚き、またとても喜んでくれたようです。それは、初訪問からわずか一週間後に、社長が古い送水口の「救出作業」をおこなったことからも分かります。

ちょうど西新橋の旧日本電池ビルが解体されそうになっていたので、そこに設置されている村上製のオールド送水口を取り外し、持って帰ることを社長は決断したのです。送水口の救出なんて、もちろん誰にとっても初めてのことでした。

のちに村上社長はこう語っています。
「前日に会った送水口ファンのことが頭に浮かんで、なんとか救い出せないかという思いがこみあげてきた」

さらに同じ年、第1回「送水口ナイト」が開催されます。送水口ファンが集まってのプレゼン大会。「やろうやろう!」と背中を押してくれたのは村上社長だったそうです。もちろん社長にも登壇してもらったのですが、なんと村上社長は送水口を擬人化した恋物語の紙芝居作品を一人で制作し、発表。いわゆる「中の人」側からの真面目なプレゼンを予想していたAYAさんやキムチさんたちにとっても驚きの内容で、会場は大喝采だったそうです。

この第1回「送水口ナイト」は、メーカーの「中の人」であった村上社長が、送水口ファンと融合した記念すべき日だったのではないでしょうか。

そのあとの経緯は下記リンク先をご覧ください。送水口博物館のオープンから間もなく、友人のアシモフこと伊藤健史さんが取材した記事です。

君は世界初の「送水口博物館」を見たか
http://portal.nifty.com/kiji/151223195344_1.htm

上の記事にあるように、オールド送水口の救出をいくつか続けるうち、社長は送水口博物館の設立を思い立ちます。AYAさんたちが村上製作所を初訪問したのが2014年5月。第1回「送水口ナイト」開催が同年8月。村上社長が博物館の設立を宣言したのが翌2015年6月。そしてオープンが11月。怒濤の展開です。歴史ってこんなふうに動くんだ……

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【みんなでつくった手づくりの博物館】

僕が「ソーハクに行きたい」と思い続けていたのはそんなわけなのです。

記事でも紹介されているように、ソーハクは完全な手づくり。その多くを社長自身が手がけています。そしてAYAさん、キムチさんはもちろん、AYAさんがマンホール方面で知り合ったみわさん、傭兵鉄子さんなども加わって、作業を分担しながらみんなで完成させました。

そうした一連のできごとを、そのつど部分的に伝え聞いたり、記事で読んだりしていたので、このたびの訪問はとても感慨深かったです。

事前にツイッターでソーハク行きを宣言していたため、この日はキムチさんはもちろんのこと、たくさんの知人が集まってくれました。AYAさんやみわさんともやっと対面できた。

まず入口で館長から記念コースターが手渡されます。僕は1287番目の入館者でした。来館者を迎え入れた館長、こんどは指し棒を持って送水口の歴史や仕組みを解説。ユーモアをまじえながらたっぷり話してくださいました。さらにテレビ出演時の映像の上映会まで始まるという展開に。

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「みんなに喜んでもらいたい」という館長の気持ちが館内に充満してるようで、その高いテンションとサービス精神に感激しました。村上館長、ありがとうございました。


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顔ハメ送水口も体験しました。これはキムチさんがつくったもの。ついでに紹介すると、キムチさんは送水口を愛するあまり2013年に自作イラストを元にした「送水口Tシャツ」をつくっています。もちろん僕も購入しました。
http://d.hatena.ne.jp/ki_mu_chi/20140521/1400683114


送水口博物館はJR山手線「新橋駅」日比谷口から徒歩5分。
貴重なオールド送水口をぜひ生鑑賞してみてください。

送水口博物館
東京都港区新橋2-11-1
村上建物ビル5階

※個人運営なので開館日が限られています。
下記サイトの開館カレンダーをご参照ください。
http://www.zentech.co.jp/museum/index.html


そして!
2018年4月7日(土)はソーハク桜祭り&春のハンナまつり!

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送水口を愛でながら飲んだり食べたりしつつ
音楽も楽しめるというすばらしいイベントです。
みなさまぜひ。
うう・・・行きたい・・・




posted by pictist at 22:18| 都市鑑賞

2018年01月08日

玉島鑑賞

2016年に岡山県倉敷市玉島エリアを歩いたときの写真です。
熟成肉みたいに熟成街(まち)と呼びたい。

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【以下は2018年に再訪したときの写真です】

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posted by pictist at 23:08| 都市鑑賞

2017年12月18日

清心温泉のタイル

昨年「岡山芸術交流オルタナティブマップ」に掲載させていただいた清心温泉さん(岡山市北区清心町)が、11月に火災で焼失してしまいました。とても残念です。

取材したとき印象に残ったのは、浴場の床面のタイルでした。傷んだ箇所をそのつど補修し続けたことで、こんな模様ができあがっていたのです。長い歴史を物語る、すてきな模様でした。

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閉業は残念ですが、オーナー様を始め、みなさまがご無事でなによりでした。清心温泉さん、おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。

タグ:都市鑑賞
posted by pictist at 18:24| 都市鑑賞

2017年12月17日

旧岡山警察署庁舎跡

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明治38年(1905年)に完成した旧岡山警察署庁舎(設計:江川三郎八)は、昭和20年(1945年)の岡山空襲で全壊した。その跡地に、煉瓦造の基礎が数メートルだけ残っている。このアーチ型は、おそらく換気孔だろう。当時はこの中に鋳鉄の格子が嵌め込まれていたのではないだろうか。

近づいてよく見ると、煉瓦の目地がかまぼこ型に盛り上がっている。これは覆輪目地(ふくりんめじ)と言って、古い煉瓦造の建物に見られる施工法の一つだ。有名なところでは東京駅丸の内駅舎にも用いられている。

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丸の内駅舎の復元工事(平成24年/2012年完了)の際には、この覆輪目地も忠実に再現された。現代の職人には受け継がれていない喪われた技術だったが、駅舎の復元にあたってこの左官技術を一から甦らせたそうだ。

東京駅の着工は明治41年、開業が大正3年なので、旧岡山警察署庁舎はそれよりも古い。

まるで切り取られたかのように一部分だけ残されたこの煉瓦を見ていると、時空の窓から明治時代を覗いているような気持ちになる。

(岡山市北区天神町9)


【2018年11月9日追記】
現在、この場所ではRSK(山陽放送)の新社屋を建設中。工事に伴い上記の煉瓦部は解体・撤去されることになっていたのですが、地元の有志の方の尽力により、近くの「甚九郎稲荷」に移設されました。2つあったアーチのうちの片方だけですが、明治の貴重な遺構が命を長らえました。

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posted by pictist at 18:38| 都市鑑賞

2017年12月02日

ノートルダム清心女子大学

2016年に取材させていただいたノートルダム清心女子大学(岡山市北区伊福町)の校舎の写真です。設計はアントニン・レーモンド、1929年竣工。国の有形登録文化財にも指定されています。

戦争で焼け野原となった岡山市中心エリアにあって戦火を逃れた貴重な建物の一つです。当時、岡山市内にあった鉄筋コンクリート建造物のうち、岡山大空襲をまぬがれたのは、この校舎を入れて5棟だけなのだそうです。

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posted by pictist at 06:04| 都市鑑賞