
先月(2023年9月)、妹尾川に残る内尾大水門(うちおおおずいもん/岡山市南区内尾〜東畦)が土木学会による「選奨土木遺産」に認定された。内尾大水門は興除新田(こうじょしんでん)の干拓に際して1823年(文政6年)頃に築造された石造水門だ。70cm四方の断面を持つ長さ10mの花崗岩を梁に使用した、現存するものでは国内最大の石造水門(樋門)である。
このブログではあまり記事にしていないが、私は長年、岡山の水路を鑑賞している。ここに掲載する写真も過去に撮影したものだ。水路は岡山の歴史・文化と密接に関わっている。
また、岡山は花崗岩文化圏であるため、水路+石造物である近世の水門・樋門はとても岡山らしい遺物であると言える。
ところで、私が調べた範囲では、今回の内尾大水門の選奨土木遺産認定を地元メディアはまったく報道していなかった。実にもったいない。内尾大水門だけの話ではなく、多くの人は「水路都市」としての岡山のポテンシャルに気づいていないように思う。
閑話休題。内尾大水門をじっくり見てみよう。

花崗岩の笠木(梁)とタテリ(柱)を組み合わせた井桁構造の3連樋門。

階段状に積まれた石壁がかっこいい。岡山の水門・樋門によく見られるスタイルだ。

手前のいちばん上の石に「矢穴」が見える。意図的にここに置いたのかもしれない。

木材でつくられた轆轤(ろくろ)が一ヶ所だけ残っている。

この轆轤に棕櫚縄をかけ、それを巻き上げることで樋板を上げ下げ(開閉)していた。これを巻き上げ式と言う。

タテリに穿たれた軸受け穴。

上流側から見た様子。3連のうち真ん中だけ橋下高が高くなっている。これは舟運のためだ。

川幅に応じた長い梁を使う設計は、強度の高い花崗岩だからこそ可能だったものであり、岡山の石造水門・石造樋門の大きな特徴になっている。
もし内尾大水門を見に行くことがあったら、ついでに内尾小水門(うちおこずいもん)も鑑賞してほしい。大水門と同時期につくられたもので、大水門の北にある。

内尾小水門

こちらも石壁を階段状にしているが、やや緩やか。

軸受け穴。滑らかなカーブがすばらしい。石工の技術がいかんなく発揮されている。
さらについでに見てほしいものがある。内尾小水門のすぐそばにこんな構造物が残されている。

これは1929年(昭和4年)に築造された濾過槽(ろかそう)だ。濾過槽とは、河川や用水の水を砂利・砂・木炭・棕櫚皮などで濾過して生活用水にするための設備。干拓地では井戸水が使えないため、このような設備が必要とされた。

東畦にあるこの濾過槽は、近隣の約20軒が共同で使用していた。この濾過槽から鉄管で戸別配水していたという。当時は槽の上に屋根がついており、南隣りに作業用の小屋があったらしい。

注目したいのは石積みとコンクリートが合体している点だ。これは昭和初期の構造物ならではだろう。もっと古い時代ならコンクリートは存在しないし、戦後の構造物だと石積みは少ない。このキメラ感にグッとくる。
また、他の地域なら煉瓦を使っていたかもしれない。これも花崗岩文化圏の遺産だ。

ふたたび大水門のほうに戻るが、内尾大水門の下流側にコンクリート製の水門がある。新大水門だ。

コンクリート構造物にはコンクリート構造物ならではの魅力がある。こちらもぜひ鑑賞してほしい。
内尾大水門が選奨土木遺産に認定されたのはすばらしいことだが、「お墨付き」だけを見るのは、これもまた、もったいないと思う。
【参考文献】
・公益社団法人土木学会>令和5年度の選奨土木遺産
・樋口輝久、馬場俊介「岡山藩の干拓地における石造樋門」(土木史研究 第19号、1999年)
・『岡山びと』第6号(岡山シティミュージアム、2012年)