2020年12月20日

上之町ビル(防火建築帯)1

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上之町ビルの北側の階段室。防火壁が出っぱっている。


都市鑑賞会「内側から見る岡山」で見学した上之町ビル(岡山市北区表町一丁目、1961年/昭和36年竣工)は「防火建築帯」として建てられた。

防火建築帯とは、火災の延焼抑止を目的としてつくられた帯状の耐火建築物のことだ。防火建築帯の造成は、戦後日本の都市開発における重要なプロジェクトの一つだった。

戦後まもなく「都市不燃化運動」が起こる。日本のまちは燃えやすかった。火災が発生すればあっというまに延焼し、区画一帯がすべて焼けてしまう。「火に強い都市をつくらねば」と人々が考えるのは当然のことだっただろう。空襲を経験すればなおさらである。

そうした背景の中、1952年(昭和27年)に耐火建築促進法が施行される。これは国と自治体の補助金によって防火建築帯の造成を促す法律だった。以降、同法が廃止される1961年(昭和36年)までの9年間に、全国84都市で総延長38.8kmの防火建築帯が造成されている。上之町ビルもその一つだ。

このビルは商店街と一体になっており、また他の建物が隣接して密集しているため、今ひとつ全体像がつかみづらい。下記はGoogle Earthからキャプチャした画像だ。

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東を向いた画像。手前を横切っている棒状がアーケードの屋根。それに沿って上之町ビルが建っている。「帯」になっているのが分かるだろうか。

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逆向き、西を向いた画像。

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上の画像から上之町ビルだけを残した図。南北にそれぞれ階段室とエレベーターがあり、ホチキスの針のような形をしていることが分かる。




余談だが、この表町商店街再開発プロジェクトの基本計画(マスタープラン)をつくった日本建築学会「再開発委員会」のメンバーの中には、若き日の磯崎新もいた。

1961年(昭和36年)、耐火建築促進法は廃止されるが、同時に防災建築街区造成法が制定され、法の趣旨が発展的に継承される。さらにその後、1969年(昭和44年)の都市再開発法へと受け継がれていく。

つまり耐火建築促進法は、日本の都市開発法のルーツと言える。そして防火建築帯は、そのルーツを今に伝える証言者なのだ。

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南端を、オランダ通りから北向きで見上げたところ。

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南端を、オランダ通りから南向きで見たところ。下に見えている低いビルや、右端に見えているビルは別の建物だ。把握しづらい。

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商店街から見た上之町ビル。アーケードがあるため、ここに5階建てのビルがあるようには見えないだろう。左下、自販機の横にビルへの入口(北口)がある。

今回はここまで。次回はビルの中をご紹介します。中がまた把握しづらいんだよね……

参考文献:『日本の都市再開発史』(社団法人全国市街地再開発協会、1991年)




posted by pictist at 13:00| 都市鑑賞

2020年12月05日

「御幸通り」が地図に載る日がくるかも

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田町橋のそばに隠れるようにして建っている御幸通の石碑


今年の3月にこんな記事を書きました。

>>忘れられた岡山の「みゆき通り」

岡山市の中心部に「御幸通(みゆきどおり)」という道があるんだけど、この呼び名はまったく定着してないよね、使えばいいのにね、という内容です。

で、この記事を書いた直後くらいに、偶然にも岡山商工会議所が「ストリートネーム・コンテスト」という企画で、市内を通るいくつかの道路の愛称を募集し始めました。その中には上記「忘れられた御幸通り」の道も入っていました。

ほんとに忘れられてる!っていう。名前があるのに名前を募集されてる。

これは応募するしかないなと思って、提言を送りました。『もともとこの道には「御幸通り」という名前がありますよ、使ったらどうですか』という感じの内容です(上記の記事のリンクも添えました)。

そして昨日、結果発表がニュースに出ていたのですが、御幸通り、無事に採用されてました。よかったよかった。

>>愛称公募の岡山4市道 どんな道?:山陽新聞デジタル|さんデジ

まあ、御幸通りが別の愛称で呼ばれることになったら、それはそれで面白かったかもしれないけど。

まだこれで決まったわけではなく、あくまでも商工会議所から岡山市へこの内容を提言する段階であるとのこと。市の正式な愛称の制度があるので、その中に入れてもらえるかどうかですね。

もしそうなったら地図に載ることになるので、どうなるか楽しみです。

ちなみに採用されたもう一本の東西の道「野殿橋通り」も僕が送った案です。もちろん他にも同案を応募した方はいらしただろうと思いますが。2つも提案が採用されてうれしいです。




タグ:都市鑑賞
posted by pictist at 18:59| 都市鑑賞

2020年12月04日

岡ビル(内側から見る岡山)

都市鑑賞会「内側から見る岡山」で見学させていただいた岡ビル(通称「岡ビル市場」)。普段は入れない屋上にも入らせてもらえて、貴重な経験になりました。

住戸の室内の様子も玄関先から見せてもらいましたが、実はあの部屋の住人は私の友人なのです。福本くんありがとう。

その福本くんが、貴重な写真を見せてくれました。彼のお父さんが小学生の頃に、岡ビルで撮った写真です(つまり撮影者はお祖父さんかな?)。62〜63年前とのことなので、岡ビルができて6〜7年目の様子だと思います。

同じ位置から撮った現在の様子と並べてみました。

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拡大してじっくり見ると、いろいろ発見があって興味深いです。

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こちらは部屋の中から見た玄関ドア。覗き窓がついてるんですね。普段はここに布をかけてあって、外から見えないようにしています。

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そういえば岡ビルのドアは内開きなんですよね。現在、日本の住宅のドアは圧倒的に外開きが多いわけですが、岡ビルは欧米の住宅を参考にしたのでしょう。

上の通路の写真にも少し写っていますが、通路側の窓も「滑り出し窓」になってます。これも西洋式。当時は珍しかったでしょうね。

以前なにかで読んだんですが、アメリカ映画で、登場人物がドアを蹴破って部屋に突入するシーンがよくありますよね。あれは内開きが基本になっている欧米の住宅だからこそ成立するシーンなのだと。なるほどと思いました。

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ドアポスト。これは外側からです。

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内側から見るとこう。

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昭和26年(1951年)竣工。設計者の久米権九郎は日本の公営住宅計画に携わった人で、大阪の公団千里山団地(昭和32年/1957年完成)など、初期の公団住宅を数多く手がけています。

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西側の道路に立って、東を向いたところ。


俯瞰で見ると分かりやすいですが、上から見ると櫛のような形になっています。「E」にもう1本横棒がある感じ。4棟あって、それが西側の通路でつながっている格好です。

東側には別棟が建っていて、南東(上のマップでは右下)の棟にはかつて共同浴場がありました。岡ビルには当初、室内にお風呂場がついてなかったので、住人のみなさんはこの共同浴場を利用していました。

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かつて浴場だった棟は、現在は自転車置き場として利用されています。壁には今もタイルが残っていて、鏡の痕跡があるのが分かります。

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隅のラウンドもいい。

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一階が店舗、二階から上が居住エリアになっている、いわゆる「ゲタバキ住宅」。

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西側通路から東を向いたところ。

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居住通路から見た西側通路。

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これはだいぶ前にペッ景として撮った写真。

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1階の市場から伸びる煙突が独特の景をつくっています。

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そして屋上へ。高いビルがまわりにある今でもグッドビューだったので、完成当時はさぞ見晴らしがよかったでしょうね。

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喜多村病院をこんな角度から見ることもできました。

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いつも下から見えている看板を間近で。

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西側通路。

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地元では「岡ビル市場」と呼ばれていますが、正式には「岡ビル百貨店」なんですね。ちなみに建設当時の設計図面には「岡ビル商場」と書かれています。

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再開発の話が出てはいますが、とりあえず今現在、具体的な時期は決まっていません。まだ当分、岡ビルの雰囲気を楽しめそうです。

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久しぶりに「みつめや」さんの揚げ物が食べたくなってきたー。さっそく買いにいこう。





posted by pictist at 13:59| 都市鑑賞

2020年11月24日

岡山のオールドすべり台

上伊福西公園(岡山市北区津倉町、昭和15年/1940年開園)のコンクリートすべり台が撤去されたとの報が入ってきた。形あるものがいつかなくなってしまうのは仕方のないことだけど、コンクリート構造物ファンとしてはやはりさびしい。

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上伊福西公園にあったコンクリートすべり台

今年は春に三野公園(北区三野本町、昭和6年/1931年開園)のオールドすべり台がなくなったばかり。

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三野公園にあったコンクリートすべり台

数年前には島田東公園(北区中島田町、昭和18年/1943年開園)のオールドすべり台も撤去されている。70年〜90年間、ずっとそこにあったすべり台たちが、ここ数年で立て続けに3基なくなった。

これで岡山市にある(おそらく県内でも)昭和20年以前のオールドすべり台は、下記の4基となった(ただ、これを書いている2020年11月24日の今、現存しているかどうかは確認していません。写真は1〜4年前の撮影)。

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内田第1公園(北区清輝橋、昭和16年/1941年開園)のコンクリートすべり台


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島田西公園(北区西島田町、昭和13年/1938年開園)のコンクリートすべり台


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上伊福東公園(北区伊福町、昭和10年/1935年開園)のコンクリートすべり台


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国富公園(現・住吉町仲よし公園/中区住吉町)のコンクリートすべり台も昭和20年以前のものと考えられる。記録上では国富公園の開園は昭和24年とされているが、昭和17〜18年にはすでに公園は完成していた。また、すべり台のデザインを見てもその時代のものである可能性が高い。

※大元公園(北区東古松、昭和30年/1955年竣工)にも謎の古いコンクリートすべり台があるのだが、正体不明なのでカウントせず。

これらのコンクリートすべり台は、今後、新たにつくられることのない貴重な遊具だ。

ちなみに埼玉県の百間小学校にあるコンクリートすべり台は、国の登録有形文化財になっている。製作年は上記のすべり台とほとんど変わらない。


【参考文献】
本記事の内容は福田忍さんの労作『おかやま街歩きノオト 第20号 アートなコンクリートを愛でる〜公園編〜』を参考にしています。福田さんが時間をかけて調査された貴重な岡山の公園情報が載っています。興味を持たれた方はぜひご覧になってください。
入手方法はこちら >>おかやま街歩きノオト(雑記帳)




posted by pictist at 20:09| 都市鑑賞

2020年11月22日

岡山島屋ビルの見どころ(2_夜の顔)

岡山島屋ビル(1973年/昭和48年竣工)

このビルは夜の表情がいい。だから秋・冬・春、夕方から日没後にかけて照明がついている時間帯に鑑賞することをおすすめします(夏だとまだ明るいうちに営業終了時刻を迎えてしまうので)。

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こちらは昼の顔。

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(設計:村野藤吾)




posted by pictist at 20:19| 都市鑑賞

岡山島屋ビルの見どころ(1_階段)

岡山島屋ビル(1973年/昭和48年竣工)に行ったら、地上から地下2階へ到る階段も味わってみてください。地下道に通じている階段で、地階食料品フロアにも入れます。

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この左側に階段室が。

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posted by pictist at 02:55| 都市鑑賞

2020年11月17日

瑜伽山加圧ポンプ場と門田喞筒場

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1936年(昭和11年)に竣工した瑜伽山加圧ポンプ場(当時の名称は操山調整池)
『岡山市水道誌』(1965年発行)より


岡山市中区平井の丘陵地に、瑜伽山(ゆがさん)加圧ポンプ場という上水道施設がある。同地近傍に瑜伽神社という神社があるので、そこから名付けられたのだろう。ただ、この山を瑜伽山という名前で認識している人は少ないと思う。

岡山で「ゆがさん」と聞けば、岡山県倉敷市児島地域にある由加山(由加神社)を思い浮かべる人がほとんどだろう。そして由加山の由加は、正式には瑜伽と書く。つまりここの瑜伽神社は、児島の由加神社本宮の分社なのだ。

瑜伽山加圧ポンプ場は1984年(昭和59年)に竣工しているが、ここにはそれ以前から上水道施設が存在していた。以前の名前は操山調整池。

この操山調整池、「みさおやま」と読ませるのか「そうざん」と読ませるのかは確認できていないが、おそらく「そうざん」だろう。岡山市民にはお馴染みだが、単体の山としての操山は「みさおやま」、みさおやまを含む丘陵地全体としての操山は「そうざん」と言う。同施設は丘陵地の南端に位置するので、普通に考えれば「そうざん」だ。

瑜伽山加圧ポンプ場と、その前身、操山調整池の成り立ちについて調べたので以下に記したい。



操山調整池は1936年(昭和11年)に竣工した。岡山市水道局による第3期拡張工事に含まれる事業で、旭東エリア(地蔵川以東の丘陵住宅地や湊、平井方面)への配水を目的としてつくられた。その際、同施設の北西に門田喞筒場(かどたそくとうじょう/岡山市中区門田本町)もつくられた。
※喞筒=ポンプのこと

第3期拡張工事は昭和7年度から10年度の4ヶ年事業として計画されていた。しかしその途中の昭和9年、岡山市は室戸台風による大洪水に襲われ、上水道施設も甚大な被害を被る。

その結果、第3期拡張工事は当初の計画より遅れて1937年(昭和12年)に完了することになる(今後の災害に備え計画内容の変更もされたため)。

操山調整池の築造工事は花崗岩に阻まれて難航したが、予定通り1936年(昭和11年)に完成、旭東エリアへの配水が始まった。上水道の敷設は永年の念願だったため、住民の喜びはひとしおだったという。岡山市で上水道の送水が始まってから、このとき30年以上が経過していた。

1981年(昭和56年)、操山調整池に1池を増設して配水能力を増強。1984年(昭和59年)には同地に加圧ポンプ場を新設、「瑜伽山加圧ポンプ場」と命名される。同時に門田喞筒場は廃止された。そして現在に到る。

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山道を進んでいくと……

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樹木に覆われて、こんな構造物が。

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アーチの中のコンクリートブロックは新しそうだ。後から塞いだのだろう。

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右書きで「清泉洞」と書かれている。左側には縦書きで「昭和十一年」。

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その向こうにフェンスで囲まれた敷地がある。ここが「瑜伽山加圧ポンプ場」。もちろん立入禁止だ。
【追記】地元の小学校出身の知人が教えてくれたのですが、小学生の頃(80年代)、遠足でここに来てお弁当を食べていたそうです。「水源地」と呼んでいたそう。当時は入ることができたんですね。私も、敷地内にトイレが見えたので「かつては市民に開放されてたんだろうな」と思いながら見ていました。

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隙間からなんとか撮影。冒頭の『岡山市水道誌』にも載っている建屋が見えた。80年以上前のコンクリート構造物だ。

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建屋は2棟あり、こちらは大きいほう。その裏側。現在はトタンで塞がれているが、『岡山市水道誌』の写真を見ると、もとはガラス窓だったことが分かる。



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こちらは門田喞筒場。

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門柱のスクラッチタイルやアールデコ調の飾りが時代を感じさせる。

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外壁は途中で塗り直したのかもしれない。

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前述のように、今はもう使われていない。

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かつて洋館や医院などに好んで植えられたシュロ。

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中が見てみたい。

参考文献
『岡山市水道百年史』
『岡山市水道誌』
『岡山市水道史 追録』
『岡山市水道史 追録U』





posted by pictist at 06:49| 都市鑑賞