2020年03月07日

忘れられた岡山の「みゆき通り」

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超・岡山ローカルな話です。

岡山市の中心部に「御幸通(みゆきどおり)」と名付けられた道があるのだが、この呼び名はまったく定着していない。「岡山 御幸通」「岡山 御幸」などのワードでネット検索しても、他の情報がヒットするばかりで、みごとになにも出てこない。完全に忘れ去られている名前なのだ。

御幸通(以下、「御幸通り」と記す)」は明治時代に命名され、昭和時代には由来記念碑までつくられている。碑は今も西川緑道沿いに建っている。にも関わらず現在、岡山市民の多くは、この通りに名前があることを知らない。

御幸通りは岡山市街地を貫いている。西川に架かる「田町橋」をはさんで東西に走る道が御幸通りだ。

岡山市中心部を東西に走る道と言えば、幹線道路の他に思い浮かぶのは「後楽園通り」「桃太カ通り」「県庁通り」「あくら通り」くらいだろう。

それもそのはず、岡山市では「愛称命名道路」というものが定められているのだが、その中に「御幸通り」は入っていない。昭和59年度、平成7年度、平成17年度と3度にわたって道路愛称が定められたが、結局最後まで「御幸通り」は入らなかった。100年以上の歴史を持ち、記念碑まであるにも関わらず。

>>岡山市|道路愛称について

「御幸通り」「みゆき通り」という名前の道は全国にいくつもある。いちばん有名なのは銀座みゆき通りだろう。1960年代にはここから「みゆき族」という流行語も生まれた。

西川緑道沿い、田町橋のそばに建つ記念碑の裏側に、こんな碑文が刻まれている。

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碑文を書き起こしてみた。読みやすいように適宜改行し、句読点もつけた。

明治四十三年、陸軍特別大演習は岡山市を中心として吉備平野に挙げさせ給ふ。

陛下には十一月十二日、岡山市に行幸、後楽園大本営に入らせらる。

十一月十七日、岡山練兵場に於て観兵式を挙げられ、式後、下石井煙草専賣局用地にて大宴会開かる。

陛下には大本営御出門、上之町より二十二銀行前を新西大寺町に、ここより右折して新道通に出でさせ給ふ。

この行幸を記念して、地元各位の秦仕用地の寄付等の協力により御幸通完成さる。

昭和四十五年五月一日 岡本巍

この碑文は、ちょっとややこしい。まるで岡本巍という人物が昭和45年に記したかのように読める。

しかしおそらくそうではない。この古めかしい文章が昭和45年に書かれたとは考えにくい。そして岡本巍(おかもと たかし)という名前を調べると、やはり明治〜大正期の人物であることが分かる。

岡本巍は岡山市の教育者で1850年(嘉永3年)生まれ、1920年(大正9年)没。実業家でもあり、また県会議員も務めたらしい。

この碑文はなぜか、岡本巍が(おそらく明治時代に)記した由来文を、昭和45年という年(おそらくこの碑を建てた年)と並べて刻んでいるのだ。

碑文の謎はおいておくとして、ここに書かれている内容を図示すると以下のようになる。これは明治44年(上記行幸の翌年)に発行された岡山市街地図だ(赤ラインは筆者による)。

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【岡山市明細地図 明治44年】デジタル岡山大百科 | 郷土情報ネットワーク

画像の外、右上部に「上之町」がある。この縦の点線は現在の表町商店街だ。南下してきて、「二十二銀行」(現存せず)を右折。現在の新西大寺町商店街から田町へ抜けて、田町橋、柳町、そしてイトーヨーカドー跡地へ続く。この東西の点線が御幸通りになる。

文中の「下石井煙草専賣局用地」というのが地図上の「大蔵省敷地」、現在のイトーヨーカドー&ジョイポリス跡地だ。ちなみに西川の東に流れているもう一本の水路は、現在の柳川筋である。

現在のマップ上にラインを引いてみた(新西大寺町商店街は省いた)。




この忘れられた御幸通りを、あらためてみんなで認識できたらいいな、と思っている。名前じたいはなんでもいいのだが、「みんなが道の名前を知っている」というのが大事なポイントだ。

道に名前があると、とても便利だ。場所を説明しやすい。これは、単に御幸通り沿いにある建物を説明しやすいだけではない。御幸通りという東西のラインをお互いが認識していれば、そのラインを補助線にして街がさらにつかみやすくなるのだ。

南北の市役所筋、西川、柳川筋。東西の後楽園通り、桃太郎通り、県庁通り、あくら通り。これに御幸通りが加われば、岡山駅東エリアの街区が、今以上に分かりやすくなるだろう。

銀座と同じように、表記はひらがなで「みゆき通り」としてはどうだろうか。近県では兵庫県姫路市にも「みゆき通り商店街」がある。こちらも、もともとは明治時代に「御幸通」と命名されたが、現在では「みゆき通り」と表記されている。

新たに命名するのではなく、もともとある名前を「思い出す」だけなのだから、それほど難しいことではないと思う。

余談ですが、岡山みゆき通り沿いにある「銀河」という韓国料理店がうまかったです。サムギョプサル最高。

※岡山市中区に御幸町(みゆきちょう)があるが、これは御幸通りとは直接的な関係はないと思われる。

※過日、みゆき通り沿いにあるオーダー紳士服店「テーラー ロンドン」店主の米林さんにお話を伺った。当地で育った米林さんは当然、みゆき通りの名前をご存じだったが、「私(1952年生まれ)より下の年代の方はほとんど使わないですね」とおっしゃっていた。





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posted by pictist at 22:29| 都市鑑賞

2020年03月02日

ミッド昭和が息づく山陽放送会館

前回の続きです。

こちらはロビーの様子。

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ミッド昭和感。

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ミッド昭和感。

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ミッド昭和感!

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よき曲面。

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天井。

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壁のスリットが気になって近づいてみると・・・

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溝部分に黒いネットが張られていました。これ、もしかしてスピーカーから発想したのかな。放送局ということで。どうだろう。

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エレベーターのランプが謎でした。これは外側のランプです。

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満員??
このランプはどんなときに光るのか。中に「満員ボタン」があるのかな?と思って見てみたんですが、改装されてボタンが新しくなってて分かりませんでした。

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さらに謎な「休止」。
デフォルトで休止ランプを設置しなければならないほど、エレベーターの稼働をしょっちゅう止めていたのでしょうか。

勤めている中の人も、僕に聞かれるまで気にしたことがなかったそうで。どういう意味のランプなのか分からないとのことでした。後日、他の社員さんにも聞いてもらったのですが、このランプの意味を知る人はいなかったとのこと。この「満員」「休止」表示の謎、もしご存じの方がいたら教えてください。

※後日、ツイッターで教えてもらいました。「満員」ランプは「満員通過機能」というもののようです。「休止」はメンテナンスなどの際に点くらしい。1962年当時は頻繁にメンテナンスが必要だったのかもしれませんね。

こちらは館内で見たいろいろな「文字」。コンピューターフォントではない手づくりの文字は、今となっては貴重です。

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消火栓。これって機械彫刻用標準書体ですかね?

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木製のドアとガラスが、いかにもミッド昭和。

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これはスタジオにあった椅子。ほしい。

RSKは2021年に本社を移転する予定ですが、この山陽放送会館も当面は続けて使用するそうです。

以上です。見学に誘ってくださったRSKのSさん、ありがとうございました!





posted by pictist at 00:35| 都市鑑賞

2020年03月01日

山陽放送会館の階段にしびれた

以前、「山陽放送会館の中が見たいなー」って書いたんですが、なんと中の人から見学のお誘いをいただきました! わーい。

RSK山陽放送会館(岡山市)は1962年(昭和37年)竣工。設計は佐藤武夫。建築音響学の先駆者と言われている人です。

今回、建物の中をあちこち見せてもらったんですが、いちばん印象に残ったのが、廊下の真ん中に突然現れるこの階段。

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こんな階段の位置、ある? いや、ないことはないんだろうけど。珍しくないですか。この唐突感にしびれました。

階段をあがって上から見ると、こう。

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もう一つ、別の場所の階段もご覧ください。

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なんかすごいゴージャスですよね。赤、黒、金で。どこへいざなわれるんだろうっていう。

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そして手すりの白ラインがびしっと空間を引き締める。

で、これだけじゃないんです。さらに別の階段があって、それがまた見ごたえあった。写真で伝わるかなあ。

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分かりますかね。どうなってるか。

建物の中に、西エリアと東エリアがあると思ってください。その中間にこの階段棟があると思ってください。たとえば「2階・西エリア」から「3階・東エリア」へ行きたい場合は、まっすぐ階段を登っていけばOK。

「2階・西エリア」から「3階・西エリア」へ行きたい場合は、途中の踊り場でくるっとUターンして、隣りのラインの階段を登ります。

という構造の階段が、2階から4階まで続いているのです。

踊り場のそばの壁にこんなものがありました。

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防火シャッターの昇降装置のようです。真鍮の鈍い経年光沢がいいですね。こうした真鍮製のものも、だんだん身のまわりからなくなりつつあります。

次回はロビーの様子、照明器具、建物内で見た文字などをご紹介します。





posted by pictist at 01:47| 都市鑑賞

2020年02月18日

岡山城の不思議な狭間

お城にはあまり興味がないのだが、昔、知人に教えてもらった話には好奇心をそそられた。「岡山城の狭間(さま)は逆向きになっている」というのだ。

私はその話を聞くまで狭間という名称を知らなかった。ご存じない方も、下の写真を見てもらえばすぐに分かるだろう。お城の土塀にある、あの孔だ。戦闘の際に内側から鉄砲などを撃つためにあるので、通常は内側から外側へ向かって狭くなっている。それが岡山城では逆に、外側のほうが広くなっているというのだ。

見に行くと、たしかにそうなっている。

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岡山城は1945年(昭和20年)の岡山大空襲で焼失し、現在の天守は1966年(昭和41年)に鉄筋コンクリートで再建されたものだ。この塀もその際、同時に復元されており、土塀のように見えるのは表面だけで、コンクリート製である。

これは復元の際のミスなのだろうか。それとも、見栄えを優先してあえてこのようにつくったのか。そもそも焼失前の、もとの土塀はどうだったのか。

岡山市が2014年(平成26年)に作成した報告書「岡山市都心創生まちづくり構想」の中に、岡山城の復元天守と土塀について触れている箇所がある。

引用
《復元天守と旧天守には細かい意匠の相違が数多く見られ、 正確な外観復元とはなっていない。》

引用
《本段を囲む土塀についても、芯がコンクリートブロックによる外観復元であるが、狭間の構造や􏰁配置が正確ではなく(中略)史実性を欠いている。》

具体的なことは書かれていないが「狭間の構造が正確ではない」というのだから、これはやはり逆向きのことを指しているのではないかと思う。

「史実性を欠いている」と指摘されているが、私はこのあたりの現象にとても興味がある。そもそもこれはコンクリート製なのだ。史実性とはなにを指すのだろうか。

私たちは、なにをもって「本物らしい」と思うのか。そんな問題にずっと関心を持っている。




posted by pictist at 05:55| 都市鑑賞

2019年12月08日

岡山県産業会館のオールド送水口

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*岡山芸術交流オルタナティブマップ「街角コラム」より転載

岡山県産業会館(岡山市北区田町1丁目3−1)は昭和31年竣工。このビルの1階西側に古い送水口が付設されている。この送水口は非常に珍しいものだ。

どのあたりが珍しいのか。まず「SIAMESE CONNECTION」というアルファベット表記。送水口の表記は、昭和36年の消防法施行令により「送水口」と漢字書きに統一された。だからアルファベット表記の送水口はかなり古いもので、したがって現存数も少ない。

ちなみに漢字表記以外では「SIAMESE CONNECTION」の他に「サイアミーズ コネクション」「サイヤミーズ コネクション」「STANDPIPE」がある。

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次に、逆三角形型の飾り板。このタイプの飾り板は、現存するものとしては日本国内で5基しか確認されていない。岡山県内では唯一の逆三角形型だ。しかも「SIAMESE CONNECTION」表記で、かつ逆三角形型の送水口は、全国で現存2基のみ。

そしてこの送水口のもっとも珍しい点は、「HARUNA」という謎の表記である。このような表記が入っている送水口は、今のところ他では確認されていない。唯一のものだ。HARUNAがいったいなんなのかも、判明していない(メーカー名である可能性が高いが断定できない)。

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付設当初はピカピカに輝いていたはずの送水口が、60年以上のときを経て、いい感じに緑青をまとっている。いわば「熟成」である。ウィスキーやワインと同じように、歳月にしかつくることのできない味わいがある。

岡山県産業会館は廃止が決定しているそうだ。いずれ建物も解体されるのだろうか。これほどの貴重な送水口がなくなってしまうのは残念。今のうちにじっくり鑑賞しておこう。

*取材協力/ウェブサイト「送水口倶楽部」管理人 AYA様




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posted by pictist at 19:52| 都市鑑賞

「高梁川東西用水組合」事務所棟

先日、高梁川東西用水組合(倉敷市)の「中の人」のご厚意により、事務所棟(1926年/大正15年竣工)を見学させていただきました。やったー。
(参考記事/酒津15連樋門

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明治44年(1911年)から大正14年(1925年)年にかけて高梁川の改修工事がおこなわれ、同時に高梁川東西用水組合が設立されました。その事務所棟としてつくられたのがこの建物です。今も現役。

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ポーチの柱がいかにも当時のデザイン。アール・デコ調です。

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S形瓦。

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建物をぐるりと囲う盛り土が特徴的。まるで川に沿う堤防のよう。

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1階と2階のあいだの踊り場。

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親柱のレリーフが気になりました。3つの丸と、10個の丸。なにかを意味してるのでしょうか。

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ランプもかっこよかった。

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この事務所棟はわずか半年でつくられたそうです。それが90年以上も残ってるんですねえ。

見学を快く承諾してくださり、ご案内までしてくださった高梁川東西用水組合のHさん、どうもありがとうございました。

高梁川東西用水組合では現在、高梁川改修工事の歴史をまとめた記念本をつくっているそうです。来年(2020年)刊行予定とのこと。完成を楽しみにしています。




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2019年12月07日

さよなら高島給水塔

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高島給水塔(岡山市中区新築港、1977年/昭和52年竣工)のお別れ鑑賞会をしてきました。来年(2020年)、解体されるという情報が入ってきたからです。

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この給水塔、近くの島(高島)に送水するためのものだと思っていたら違ってて。入港する船や港湾施設に給水するためにつくられたとのこと。そもそも高島に住民はおらず、水を送る必要はないと。ここが「高島埠頭」だから高島給水塔なのでした。

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この上についてるナミナミのやつ、遠目にチェーンかなと思ってたらアルミ製の柵でした(設計図面で確認)。わざわざこうやってカーブさせたものをつくったんですね。かわいい。あと窓もかわいい。

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ここはかつて「西部警察 PARTIII」 第39話、「激闘!! 炎の瀬戸内海」(1984年2月12日放送)のロケ地になった場所。高島給水塔も映っていました。

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炎越しの給水塔。よく見ると上に人がいることが分かります。撮影隊でしょうね。今回の鑑賞会は団地マニアのはたっちさんとラジオ塔研究者の一幡さんの3人で行ったんですが、はたっちさんは幼い頃、このロケを親御さんに連れられて見ていたそうです(記憶には残ってないけど)。

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高島給水塔は、海のほうを向いています。正面(窓と入口がある側)が港湾側から見えるように建てられている。役割を考えれば当然のことなんだろうけど、なんかいいなあ、と思いました。多くの人はきっと街側(背中側)からしか見たことがないはずです。

港湾で働く人たちだけが、いつもこの給水塔と顔を合わせていたんですね。





posted by pictist at 03:21| 都市鑑賞