2024年12月31日

2024年になくなったもの(岡山市)

■吉備沃野(岡山駅前)

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■岡山駅前

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■ふれあいの泉(岡山駅前)

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■カリヨンの鐘(岡山駅前)

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■表町商店街 南時計台

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■岡山市北区奉還町四丁目のアパート

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■アタカ種苗園(岡山市北区出石町)

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■国富タオル店(岡山市/新西大寺町商店街)

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■岡本ふとん店(岡山市北区天神町)

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■喫茶リズ(岡山市北区野田屋町)

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■中山下21ビル(岡山市北区中山下)

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■岡山駅前商店街の店舗(ダイコクドラッグ、サウナ&カプセル ハリウッド、ハートアップ)

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■ロマラン洋菓子店(表町店)

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■相生橋西詰の邸宅(岡山市北区丸の内)

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>>2023年に消滅した建物(岡山市)

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2024年12月26日

夜のアクリル看板

アクリル看板っていいですよね。特に夜。

以下はすべて岡山市内で撮影したものです。一部、現存しないものもあります。

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平上三蔵商店。戦前の創業だそうです。

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マイルドピーコック

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駅元町のコインランドリー

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洋菓子 モンドール

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伊東獣医科病院

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喫茶&お食事 山陽/これは夜じゃなくて屋内の看板ですが。

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ぴいぷる/この看板は2016年に制作した岡山オルタナティブマップでも紹介しました。

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ナンバ時計店/奉還町にあった時計屋さん。現存しません。

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大和メロン/文字にマスクメロンのようなひび割れが! こうしたひび割れはアクリル看板にはよく起こる現象ですが、奇跡的にメロンっぽくなってます。

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洋食チャイム

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グリル スエヒロ/1965年創業

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ぎょうざの姚泉

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田町温泉


【あわせて読みたい】
新西大寺町商店街の看板コレクション

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2024年11月17日

岡山市のフランス積みレンガ

レンガの積み方にはいくつか種類がある。その中でも「フランス積み」はなかなか目にする機会が少ない。フランス積みはレンガ技術が日本に入ってきた明治時代初期に採用されていた積み方で、その後「イギリス積み」がスタンダードになったため、現存するフランス積み建築は少ないのだ。

※フランス積みは「フランドル積み」「フレミッシュ積み」と呼ぶ場合もあるが、下記『日本近代建築技術史』の表記に倣い、本稿では「フランス積み」を採用する。

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村松貞次郎『日本近代建築技術史』(彰国社、1976年)より

私がこれまでに岡山市内で撮影したフランス積み建築は2件。

また、未見だが市内にはこの他に「岡山県立高松農業高等学校資料館(旧岡山県立農学校堆肥舎)」がある。つまり、判明している限りで市内にわずか3件。フランス積みはかなり稀少なのだ。

※この他、岡山県内までを範囲にすると金光学園中学高等学校の塀のごく一部がフランス積みで残っているが、ここでは割愛する。また、岡山市北区磨屋町にもフランス積みのレンガ塀が短く残っているが、こちらも割愛する。

(上記以外で岡山市・岡山県に残るフランス積みをご存じの方がいましたら、ぜひ教えてください)


■岡山市北区玉柏のレンガ蔵

以前、西川合同用水沿いを鑑賞していて見つけたフランス積みのレンガ蔵。よく見ると細部が凝っている。

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■丸高工業株式会社(岡山県岡山市南区彦崎)の工場

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この外壁は、フランス積み・イギリス積み・長手積みが混在しており、非常に見ごたえがある。

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フランス積み

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中央の控え壁が長手積みで、左右の外壁がフランス積みになっている。

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こちらは控え壁がイギリス積み。

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入口のそばにある建物もすてきだ。


【あわせて読みたい】
・岡山大学に残る戦争遺跡
・相生橋水位観測所
・半田山配水地

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2024年10月06日

階段と手すりの鑑賞

建物の中の階段と手すりを鑑賞しています。すべて岡山市内で撮影したものです。いくつか現存しないものもあります。

■弓之町ビル

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■岡山島屋ビル

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■大石ビル

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■岡山県中小企業会館

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■丸の内コーポ

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■大西ビル

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■奉還町第一ビル

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■岡山ゴム会館

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■福武ジョリービル

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■岡山県庁舎

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■山陽ビル

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■烏城ビル

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■サントリータウン

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■磨屋町ビル

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■岡山ロッツ(現存せず)

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■天満屋岡山本店

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■東中山下市街地住宅

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■新石関ビル

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■天満屋ハピータウン西大寺店(現存せず)

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■矢吹ビル

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■岡山市立西大寺公民館

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■東岡山団地

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※過去記事で「階段」というタグがついている記事にも階段と手すりの写真があります。下記タグをクリックすると記事の一覧が表示されます。

posted by pictist at 08:43| 都市鑑賞

2024年09月20日

型板ガラスはなぜ衰退したのか

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型板ガラスを10年以上、撮り集めてきた。主な商品はほぼ撮り終えたので最近はあまり撮影をしていないが、今も建物の窓を気にしながら歩く癖は治っていない。

現在、日本のガラスメーカーが製造している型板ガラスは「梨地」「霞」の2種類のみで、昭和時代に比べると圧倒的に少ない。かつて数十種あった商品ラインナップのほとんどは製造されていない。なぜだろうか。

住宅着工数が減っているという現実はあるにせよ、窓ガラスの需要はあるわけだから、型板ガラスのデザインの選択肢がもう少し残っていてもよさそうなものだ。流行の盛衰があるにしても、この少なさは極端すぎないだろうか。

型板ガラスの衰退の理由としてよく言われるのが「カーテンの普及」だ。しかしこの説明はどうも腑に落ちない。型板ガラスが流行していた当時、1960〜70年代にもカーテンは存在していた。そもそも「カーテンがあるから型板ガラスはいらない」とはならないだろう。

それに外窓だけが窓ガラスではない。屋内のガラス障子や仕切り壁にもガラスを使うことがある。昔はそういった箇所にも型板ガラスが使われていた。今でもいろんな模様の型板ガラスがあれば使いたい人はいるはずだ。それなのになぜ、型板ガラスの選びしろがこんなに少ないのか。

私は、板ガラスの製造方式が変わったからではないかと考えている。

型板ガラスは「ロールアウト法」で製造される。2本のロールの間に溶けたガラスを流して板状にする製造方法だ。このロールに模様を彫り込むことで、間を通るガラスに模様をつけるという仕組みだ。

1950年代、イギリスで画期的な板ガラスの製造法が開発された。「フロート法」である。これは溶融したガラス素地を溶融したスズの上に浮かべて板状にする製造方法だ。フロート法は低コストで平坦かつ平滑な板ガラスをつくることができるため、ガラスメーカー各社は続々とフロート法を導入していった。1965年に日本板硝子が、翌1966年には旭硝子が導入している。

フロート法はその原理上、模様入りガラスをつくることができない。

少しずつ設備の置き換えがおこなわれ、時代と共にロールアウト方式の製造ラインが少なくなっていったのだろう。板ガラス生産に占めるフロートガラスの割合は1970年で20%弱だったが、1981年には70%に迫り、80年代中頃には80%を越えている。型板ガラスの衰退時期とぴったり重なっている。

置き換えのペースが緩やかなのは、「フロート法で製造できるガラスの厚み」の範囲が当初は少なかったからだ。技術革新に伴って、より薄いガラスの製造が可能となり、それと共にフロートガラスの生産量が増えていった。

これこそが型板ガラスの衰退の主要因なのではないだろうか。現在も日本の板ガラスはほぼフロート法で製造されている。

ところで、ガラスの中に金網が入った「網入りガラス」という製品がある。通常の窓ガラスより強度があり、また延焼防止効果もあるため、現在も様々な場所で使用されている。この網入りガラスは、ロールアウト法でしかつくることができない。だから型板ガラスの製造設備がゼロになることはない。

とはいえ、ほとんどの種類の型板ガラスは今後新たにつくられることはないだろう。今のうちに鑑賞しておきたい。

【参考文献】
「板ガラス成形技術の変遷―フロート法の台頭と技術の棲み分け―」(大神正道、2009年)

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2024年08月10日

岡山駅の不思議な「葡萄の塔」

岡山駅前にこんな塔があるのをご存じだろうか。

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これは「葡萄の塔」というもので、特にこれといった機能はない。ただの塔である(以前は夜間に葡萄が描かれたアクリルの部分が光っていたが、照明というほどのものではなかった)。

面白いのは、この塔を多くの人がちゃんと認識していないということだ。駅前のいちばん目立つところに立っているにも関わらず、なぜか人の記憶に残らないようなのだ。

地元の知り合いに聞いても「そんな塔ありましたっけ?」という答えが返ってきたりする。なんという存在感のなさだろう。

「いや、私は認識してます」という人もいるだろう。ではあなたは、葡萄の塔が何本あるか答えられるだろうか。

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噴水の向こうにそびえ立つ葡萄の塔。まずはここに1本。

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分かりにくいが、ホテルグランヴィア側、左端の樹木の奥に葡萄の塔が少し見えているのが分かるだろうか(クリックで拡大画像が表示されます)。これが2本目。右端に見えているのは上掲の1本目の塔だ。

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そしてこれが3本目。右端、駅前ロータリーの脇に立っている。

正解は3本でした。

実は2本目と3本目の葡萄の塔は少し前に解体されて現存しない。しかしなくなったときまったく話題にならなかった。最初の写真に写っている噴水(ふれあいの泉)も現存しないのだが、こちらは撤去を惜しむ声がSNSにあふれ、テレビや新聞でも報道された。

それとは対照的に、葡萄の塔は誰からも惜しまれずに消えていった。それはそうだろう。もともと存在が認識されていないのだから惜しまれようがない。

存在が認識されていない物体が消えたとき、はたしてそれは「消えた」と言えるのだろうか? という哲学的な問いが脳裏をよぎる。残る葡萄の塔は1本だが、こちらもいずれ、誰にも気づかれることなく消えていくのだろう。

この話を友人にしたら、「岡山には何度も訪れているけどそんな塔は見たことがない。これは内海さんがつくったフェイク画像なのではないか」と言われた。

私もそんな気がしてきた。


posted by pictist at 14:20| 都市鑑賞