2018年08月02日

「金沢民景」的視点はどこででも実践できる

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前回からの続きです。書いてるうちにどんどん長くなって3回になりました。

もう一つ、山本さんのお話の中で印象に残ったのは「街はいつも成長過程にある」という言葉でした。街の住人たちは、地形や気候などに合わせて住空間をつくり、それを日々アレンジしながら暮らしている。その繰り返しで街は変化し続けています。

「そうした細やかな変化が積み重なり、集積して、やがて『その街らしさ』になってゆくのだろう」と山本さんは言います。

そう、金沢民景を読んでいると、「街は変わり続けている」という、よく知っているはずの事実にあらためて思い到ります。また、街の風景は誰か一人の人間によって計画されているわけではないのだということも、再認識させられます。行政や大資本がつくる大きな街並みがある一方で、住民が下から積み上げる生活サイズの街並みもある。

山本さんたちは、街の「今」が、なぜそのような姿になっているのかを知りたい。解き明かしたい。そのためには住人へのインタビューが不可欠というわけなんですね。このような街の見方・アプローチの仕方を、山本さんは「民景的視点」と言ってました。

この視点こそが金沢民景の最大の価値なのではないでしょうか。民景的視点は全国どこででも実践することができるはずです。金沢民景を読んで金沢に興味を持つ人が増えたり、あるいは金沢市民が自分たちの住む街を見直すきっかけになれば、それはもちろん素敵なことです。しかしそれとは別に、ここから「民景的視点」を学んだ人は、今度はその目線で自分の住む街を見ることができる。それはとても意味のあることだと思うのです。

山本さんたちも、最初から住人インタビューをしていたわけではないそう。でも街で気になったものを撮っていると、どうしても「これってどうしてこうなってるんだろう」と知りたくなってくる。そこでインターホンを押し始めたと。この勇気を出せるかどうかが、民景的視点を獲得するための第一歩かもしれませんね(私は苦手…(*_*))。

あと細かな感想で言うと、「金沢民景」は部材や様式の正式名称をきちんと表記しているところがいいですね。なんか得した気分になります。その点について聞いたら、やはり職業柄もあって、自然とそうしてしまうそうで。名称を確認しながら書いているとのことでした。

金沢民景には現在15名ほどのメンバーがおられるようです。みなさまの活動をこれからも応援しています。次号11号もできあがりつつあるとのこと。楽しみだー。

山本さん、お話を聞かせていただきありがとうございました。


posted by pictist at 00:08| 都市鑑賞

2018年08月01日

部分の集積によって街をつかむ「金沢民景」

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金沢民景
https://kanazawaminkei.tumblr.com


さて、前回の続きです。「金沢民景」を企画した建築設計士の山本周さん(1985年生まれ)に電話でお話を伺いました。

山本さんのご出身は神戸。大学進学で金沢にやってきて、自分の育った神戸の新興住宅地の街並みとの違いに興味を持ったそうです。そんなカルチャーギャップもあって街をじっくり見始め、写真を撮ったり街の音を録音(!)したりしていたそう。

大学卒業後、山本さんは東京で働き始めます。金沢民景プロジェクトを始めたのは2015年。その頃はまだ東京に住んでいました。月に1度ほど仕事で金沢へ通っていたそうです。つまり金沢民景プロジェクトがスタートしたとき、山本さんは「ソトの人」だったわけです。これ、とても興味深いですね。都市鑑賞論で言及した「ソトの眼」を思い起こさせます。

(話は逸れますが、岡山で長年「おかやま街歩きノオト」というリトルプレスをつくっている福田忍さんが岡山県外のご出身であるということも、とても示唆的だと私は思っています)

他の都市に住んでいる私たちにも経験がありますが、山本さんも金沢の街を見ていて「良い時間の積み重ね方をしているな、と思っていた風景が、ある日一掃されて新しい建物ができる」様子を目撃して残念な気持ちになることが多かったそうです。

「(自分も含めて)みんな極端に古いものか、または最新のものばかりに目がいってるんじゃないか、と思い始めたんです。その中間にあるものをちゃんと見つめて、価値を評価できる視点がつくれないかと考えました」そんな思いが金沢民景へと結実していったようです。

同じような好奇心を持つ知り合いに声をかけ、活動をスタート。当初はお互いに撮った写真を見せあうだけで、それをどのような形で人に伝えていくか、どう表現するかはすぐには決まらなかったそうです。

あれこれと試行錯誤していたところ、メンバーの一人であるTowersさんが、ある冊子を入手します。それは「テクノポップユニット三鷹」のタカハシさんがつくった「三鷹スケープガイド」でした。A6・16ページのカジュアルな手づくり冊子。「これなら自分たちの手でつくれるし、いいんじゃない?」

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テクノポップユニット三鷹 /「三鷹スケープガイド」と「あずま屋メモ」
http://mitaka-sound.com/blog/?p=2720


活動を始めて2年ほど経っていました。ここでA6・16ページという体裁が決定します。そして半ば必然的に、「ジャンルごとに分冊すればいいよね」という発想に到ったのだそうです。

2017年7月、山本さんはふたたび金沢に居を移します。そして仲間たちと「金沢民景」の制作に取りかかり、9月に創刊。引っ越して1年経ち、だんだん金沢の「ウチの人」になりつつある今、どうやって「ソトの眼」を維持していくかが今の自分のテーマだとおっしゃっていました。

話は戻りますが、金沢民景の判型の元となった「三鷹スケープガイド」。これにも実は元となった冊子があるのです。私の知人で岡山在住のポールさんがつくった「ポール工房通信」がそれ。

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ポール工房/工房通信の作り方
http://letterstosamuel.com/?p=7181


ポールさんは以前、自家製トートバッグを通販していた時期があるのですが、商品を発送する際に同封していた写真付きの読みものが「ポール工房通信」なんですね。そしてポールさんはこの冊子のつくり方をウェブサイトで公開していたのです(2014年)。それを見たタカハシさんが「三鷹スケープガイド」をつくり(2015年)、金沢民景につながるという。

私はタカハシさんともけっこう前からの知り合いなので、このつながりを知ったときはとてもうれしかったです。岡山、東京、金沢と連鎖した、都市鑑賞者の思わぬリレー。

山本さんはこんなこともおっしゃっていました。街で撮ってきた写真を並べて見ていると、部分の集積から浮かび上がってくる「金沢らしさ」のようなものを感じることがある。金沢民景の「1ジャンル1冊」という体裁は、それに似た感覚を表現できるのではないか、と。

たしかに1号1号の内容も楽しいけど、10号(10ジャンル)を通して見ると、なんとなく街の表情が見えてくるような気がします。今後20号、30号と蓄積していくと、さらに輪郭がはっきりしてくるんでしょうね。「部分の集積によって街をつかむ」という感覚を、私たちはまだ誰も経験したことがないんじゃないか。そう思うとますます今後が楽しみです。

わっ。また長くなってしまった。続きは次回へ。


続き

「金沢民景」的視点はどこででも実践できる
http://pictist.sblo.jp/article/184071891.html?1533187127


posted by pictist at 21:27| 都市鑑賞

2018年04月06日

岡山禁酒会館

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岡山禁酒会館は大正12年(1923年)に竣工した木造3階建ての建物。禁酒運動の拠点としてつくられ、また飲食事業もおこなっていた。建物は2018年現在も現役で使用されており、1階はカフェ、2階〜3階は貸事務所やイベントスペースとして利用されている。

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岡山市の中心部にありながら岡山大空襲による焼失を免れた数少ない建物だ。外観の意匠も見どころだが、館内の階段や廊下、窓、ドアなどの内装も鑑賞ポイント。2階には小さな資料室があり、当時使われていたロゴ入りのカップやソーサー、オリジナルサイダーの壜なども展示されている。登録有形文化財。

(岡山市北区丸の内1-1-15)

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posted by pictist at 15:39| 都市鑑賞

2018年03月31日

送水口博物館に行ってきたよ

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【送水口ファンと送水口メーカーの出会い】

2月に新橋の送水口博物館(ソーハク)を訪れた話です。

ここは消火設備の総合メーカー「村上製作所」の社長が、自社ビルの屋上につくった小さなスペース。2015年の開館時からぜひとも訪れたかった場所だったのですが、このたびの東京滞在でついに初訪問が叶いました。

なぜ、ぜひとも訪れたかったのかというと、直接的な理由としては友人の送水口ファン、キムチさんが関わっている場所だから(そして僕も遠い遠い関わりがあるから)なんだけど、なにより、伝え聞いている「送水口博物館ができた理由」が胸を打つものだったから。

ものすごく約めて言うと、送水口博物館は、村上製作所の村上社長が送水口ファンと出会ったことによって誕生したスペースなのです。

どういうことか。それにはまず、AYAさんという送水口ファンの紹介から始めなくてはなりません。僕がAYAさんの存在を知ったのは2012年、ツイッターでした。プロフィールをたどると、ずいぶん昔から送水口のウェブサイトを運営なさっているらしい。

「こんな人がいたとは!」と興奮して、すぐキムチさんに教えました。「仲間がいたよ、よかったねー」という気持ちで。(ただ、僕はこのときのことをすっかり忘れていて、あとでお礼を言われて「そういえば」と思い出したんだけど)

のちに知ったのですが、このとき「仲間がいた」ことの喜びが大きかったのは、むしろAYAさんのほうだったようです。

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【AYAさんのロンリー送水口ライフ】

AYAさんは1998年頃に「送水口倶楽部」というホームページをつくり、送水口愛好活動を始めました。他サイトとの交流はあったそうですが、送水口ファンに出会うことはなかったそうです。送水口愛を語り合える仲間が一人もいなかった。

そして2005年頃にお仕事の都合もあり、送水口活動を休止します。数年間のウェブ活動の中で「私も送水口が好きです」という人と知り合うことは、ついにありませんでした。

それからまた数年経った2012年、AYAさんは送水口活動を再開します。新しくブログをつくり、ツイッターも始めました。それが8月。僕がAYAさんを見つけてキムチさんに紹介したのが11月のことです。

ホームページを開設した1998年から数えて14年。AYAさんはついに仲間に巡り会ったわけです。僕がふと送ったメンションが、そんなに運命的なものだったとは。

好きなモノの対象は違えど、同じ偏愛系人間として、とてもうれしいできごととなりました。

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【送水口ファン、村上製作所を発見する】

そして翌2013年、AYAさんとキムチさんが対面(二人が首都圏在住だったこともラッキーでした)。また同年にはAYAさんが主催してキムチさんと共に第1回「送水口ウォーク」を開催します。

この前後の時期に暗渠ファンやマンホールファンの方とも交流し、似た好奇心を持つ知り合いが増えていったそうです。孤独な14年間が嘘のよう。

もちろんキムチさんにとっても同じだったと思います。キムチさんも一人で送水口活動を始めたわけですが、当初は、一緒に送水口を見て歩く仲間ができるとは思ってなかったのではないでしょうか。よかったよかった。

2014年、第2回・第3回「送水口ウォーク」開催。このイベントに参加したメンバーの一人が、ネット検索で送水口メーカー・村上製作所の存在をつきとめます。当初は「このロゴが入った送水口は、御社がつくったものですか?」と確認するためでした。そういう内容のメールを送ると、「たしかにうちの製品ですよ」との回答。しかしそのあとに意外な、そしてうれしい言葉が続いていました。

「送水口のファンがいるんですか? ぜひ弊社においでください」
そんな気前のよい返信をくれたのが、村上善一社長だったのです。

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【送水口博物館の誕生】

村上社長は「送水口のファンがいる」ということに驚き、またとても喜んでくれたようです。それは、初訪問からわずか一週間後に、社長が古い送水口の「救出作業」をおこなったことからも分かります。

ちょうど西新橋の旧日本電池ビルが解体されそうになっていたので、そこに設置されている村上製のオールド送水口を取り外し、持って帰ることを社長は決断したのです。送水口の救出なんて、もちろん誰にとっても初めてのことでした。

のちに村上社長はこう語っています。
「前日に会った送水口ファンのことが頭に浮かんで、なんとか救い出せないかという思いがこみあげてきた」

さらに同じ年、第1回「送水口ナイト」が開催されます。送水口ファンが集まってのプレゼン大会。「やろうやろう!」と背中を押してくれたのは村上社長だったそうです。もちろん社長にも登壇してもらったのですが、なんと村上社長は送水口を擬人化した恋物語の紙芝居作品を一人で制作し、発表。いわゆる「中の人」側からの真面目なプレゼンを予想していたAYAさんやキムチさんたちにとっても驚きの内容で、会場は大喝采だったそうです。

この第1回「送水口ナイト」は、メーカーの「中の人」であった村上社長が、送水口ファンと融合した記念すべき日だったのではないでしょうか。

そのあとの経緯は下記リンク先をご覧ください。送水口博物館のオープンから間もなく、友人のアシモフこと伊藤健史さんが取材した記事です。

君は世界初の「送水口博物館」を見たか
http://portal.nifty.com/kiji/151223195344_1.htm

上の記事にあるように、オールド送水口の救出をいくつか続けるうち、社長は送水口博物館の設立を思い立ちます。AYAさんたちが村上製作所を初訪問したのが2014年5月。第1回「送水口ナイト」開催が同年8月。村上社長が博物館の設立を宣言したのが翌2015年6月。そしてオープンが11月。怒濤の展開です。歴史ってこんなふうに動くんだ……

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【みんなでつくった手づくりの博物館】

僕が「ソーハクに行きたい」と思い続けていたのはそんなわけなのです。

記事でも紹介されているように、ソーハクは完全な手づくり。その多くを社長自身が手がけています。そしてAYAさん、キムチさんはもちろん、AYAさんがマンホール方面で知り合ったみわさん、傭兵鉄子さんなども加わって、作業を分担しながらみんなで完成させました。

そうした一連のできごとを、そのつど部分的に伝え聞いたり、記事で読んだりしていたので、このたびの訪問はとても感慨深かったです。

事前にツイッターでソーハク行きを宣言していたため、この日はキムチさんはもちろんのこと、たくさんの知人が集まってくれました。AYAさんやみわさんともやっと対面できた。

まず入口で館長から記念コースターが手渡されます。僕は1287番目の入館者でした。来館者を迎え入れた館長、こんどは指し棒を持って送水口の歴史や仕組みを解説。ユーモアをまじえながらたっぷり話してくださいました。さらにテレビ出演時の映像の上映会まで始まるという展開に。

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「みんなに喜んでもらいたい」という館長の気持ちが館内に充満してるようで、その高いテンションとサービス精神に感激しました。村上館長、ありがとうございました。


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顔ハメ送水口も体験しました。これはキムチさんがつくったもの。ついでに紹介すると、キムチさんは送水口を愛するあまり2013年に自作イラストを元にした「送水口Tシャツ」をつくっています。もちろん僕も購入しました。
http://d.hatena.ne.jp/ki_mu_chi/20140521/1400683114


送水口博物館はJR山手線「新橋駅」日比谷口から徒歩5分。
貴重なオールド送水口をぜひ生鑑賞してみてください。

送水口博物館
東京都港区新橋2-11-1
村上建物ビル5階

※個人運営なので開館日が限られています。
下記サイトの開館カレンダーをご参照ください。
http://www.zentech.co.jp/museum/index.html


そして!
2018年4月7日(土)はソーハク桜祭り&春のハンナまつり!

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送水口を愛でながら飲んだり食べたりしつつ
音楽も楽しめるというすばらしいイベントです。
みなさまぜひ。
うう・・・行きたい・・・


posted by pictist at 22:18| 都市鑑賞

2018年01月08日

玉島鑑賞

2016年に岡山県倉敷市玉島エリアを歩いたときの写真です。
熟成肉みたいに熟成街(まち)と呼びたい。

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posted by pictist at 23:08| 都市鑑賞

2017年12月18日

清心温泉のタイル

昨年「岡山芸術交流オルタナティブマップ」に掲載させていただいた清心温泉さん(岡山市北区清心町)が、11月に火災で焼失してしまいました。とても残念です。

取材したとき印象に残ったのは、浴場の床面のタイルでした。傷んだ箇所をそのつど補修し続けたことで、こんな模様ができあがっていたのです。長い歴史を物語る、すてきな模様でした。

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閉業は残念ですが、オーナー様を始め、みなさまがご無事でなによりでした。清心温泉さん、おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。

posted by pictist at 18:24| 都市鑑賞

2017年12月17日

旧岡山警察署庁舎跡

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明治38年(1905年)に完成した旧岡山警察署庁舎は、昭和20年(1945年)の岡山空襲で全壊した。その跡地に、煉瓦造の基礎が数メートルだけ残っている。このアーチ型は、おそらく換気孔だろう。当時はこの中に鋳鉄の格子が嵌め込まれていたのではないだろうか。

近づいてよく見ると、煉瓦の目地がかまぼこ型に盛り上がっている。これは覆輪目地(ふくりんめじ)と言って、古い煉瓦造の建物に見られる施工法の一つだ。有名なところでは東京駅丸の内駅舎にも用いられている。

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丸の内駅舎の復元工事(平成24年/2012年完了)の際には、この覆輪目地も忠実に再現された。現代の職人には受け継がれていない喪われた技術だったが、駅舎の復元にあたってこの左官技術を一から甦らせたそうだ。

東京駅の着工は明治41年、開業が大正3年なので、旧岡山警察署庁舎はそれよりも古い。

まるで切り取られたかのように一部分だけ残されたこの煉瓦を見ていると、時空の窓から明治時代を覗いているような気持ちになる。

(岡山市北区天神町9)

posted by pictist at 18:38| 都市鑑賞