岡山市北区広瀬町の旭公民館が2026年2月をもって閉館し、蕃山町の岡山中央公民館に新築移転しました。
旭公民館については以前も記事にしましたが(2021年)、未掲載の写真も含め、あらためてここに記録を残しておきます。
江戸時代、この場所は岡山藩の屋敷地でした。幕末には三猿斎(さんえんさい)の号で知られる家老、伊木忠澄(長門)の下屋敷(別邸)がありました。
三猿斎の下屋敷としてよく知られているのは古京町にあった荒手屋敷ですが、そのほか小橋町などにもあり、当地もその一つでした。
「備前岡山地理家宅一枚図」より。左が北。中央のオレンジ色「伊木長門下屋敷」の上半分が旭公民館にあたる場所。右側、ピンク色の箇所に瑞雲寺と浄覚寺が見える。
1907年(明治40年)、岡山に陸軍第17師団が設置され、この場所に師団長官舎がつくられます。その後、1945年(昭和20年)まで陸軍の官舎として使用されました。
戦後は進駐軍に接収され、米軍司令官の住居に。1950年(昭和25年)に接収解除されたのち、解体されました。同年、国家公務員の官舎が建てられ、警察宿舎や財務局官舎となります。
そして1960年(昭和35年)、この場所に国家公務員共済組合連合会の宿泊施設「広瀬荘」が新築されました。その建物が1997年(平成9年)から旭公民館になったのです。
広瀬荘時代のしおりが館内に貼ってありました。
前庭には車回しが。師団長官舎時代のなごりでしょうね。
もと宿泊施設だっただけあって、公民館とは思えない旅情が館内にただよってました。
型板ガラス「はつしも」。私はここでしか見たことがありません。たいへん貴重なものです。
周囲のコンクリート塀については過去記事もご参照ください。
>>旭公民館のオールド・コンクリート塀
基礎やコンクリート塀は戦前のものです。
1974年頃の上記の場所。塀沿いに建物があったことが分かる。すでに広瀬荘は営業している時期で、ここは裏口方面になる。『大正昭和比較写真集1』より。
基礎が万成石。
【参考文献】
『岡山城下町武家屋敷絵図』(正富安治、1981年)
『大正昭和比較写真集1』(山崎一二、1974年)