水色部分がかつての外堀。その幅を狭めてつくった水路が紺色の線。明治8年(1875年)に埋め立てがおこなわれ、翌年、「新柳川」と命名されました。のちに「新」が取れて柳川と呼ばれるようになり、水路がなくなった現在も「柳川筋」という名前が残っています。
外堀には五番町川という水路が流れこんでいました。その名の通り、旧五番町を流れていた水路です。西川から取水し、広瀬町、番町をくねくねと南下していました。昭和30年代まで開渠だったのですが、地図に描かれることは稀でした。
五番町川の終端から北を向いた写真がこちらです。左右方向に走っているのが県道402号。
暗渠部分がコンクリート敷きなのではっきり視認できます。これを辿って北上していく暗渠散歩も楽しいのですが、ひとまず今回は観光ネットさんをご案内した記事と同じように南へ向かいます。
五番町川の終端(新柳川の起点)から南を向いたのがこちら。街路樹や標識柱の立つ「島」が見えていますね。その先で右斜め(南西)へ続く道が伸びています。
この「島」は、外堀跡の水路と五番町川が合流していたあたりです。暗渠は島の脇を通っているはずです。
島の端に2つの石柱が。このあたりにあった橋に関係するものなのではないかと思います。
見た感じ、そうとう古そうなんですよね。
水路がつくられた明治8年のものだったとしても全然おかしくないと思います。
「島」を背にして南西を見たところ。右に「斜めの道」があり、再びコンクリート敷きが見えます。
赤い星のところに立っています。弓之町のはしっこです。
振り返るとこう。
先ほどの斜めの道を過ぎると、まっすぐに南下する道が続きます。
暗渠が続いています。
後楽園通りに出ると、こうなってます。第二の「斜めの道」が見えますね。また、暗渠の続きを指し示すかのように、手前にマンホール蓋が見えます。
前回の記事にも書きましたが、外堀のクランクだったところが斜めの道になって残っているのは、外堀を水路にしたからだと思います。単に外堀を埋めるだけなら、クランク部分を斜めにする必要がないからです。
残余地を活かした路上園芸。
岡山市街地では地元産の花崗岩「万成石」が無造作に置かれているのをよく目にします。私たちにとっては見慣れた景色ですが、これも「岡山らしさ」の一つであり、広い意味での観光資源として捉えることができると思います。
キューブ型の万成石が雨水止めとして置かれています。ここが開渠だった頃は、雨樋から水路へ直接、雨水が排水されていたのかもしれませんね。
柳川筋に出て斜めの道を振り返ったところ。
柳川筋と斜めの道に挟まれた鋭角ビルがそびえています。このビルが三角形なのは、岡山城の外堀のせいなのです。
新柳川はさらに南下して、旧紺屋町(現在の天瀬・天瀬南町あたり)で外堀跡を過ぎ、さらに南下して二日市で西川に合流していました。現在、岡山市立中央図書館のあるあたりです。つまり西川から発して再び西川に戻る水路があったわけです。
新柳川の後半、二日市までの暗渠散歩も楽しいのですが、今回はここまでにします。
気に入っている夏の柳川暗渠を一枚だけ。
観光ネットさんの「都市鑑賞者・内海慶一さんと行く町歩き」、さっそく次回の企画を提案しています。私の活動テーマは「見たことあるのに見えてなかった」なのですが、よく知っている見慣れたまちの中にも「鑑賞価値」のあるものがたくさんあるんですよ、ということをシリーズでお伝えできればと思っています。従来の「観光」の枠を少し広げるような、新しい目線を提示できたらいいなと思います。