
岡山市、旭川に架かる京橋は1917年(大正6年)に竣工した。この橋の見どころは橋脚だ。梁でつながった円柱形の橋脚5本がひと組になっており、それが多径間で連続している様子はたいへん見ごたえがある。

橋脚と梁が織りなす幾何学模様は見る位置によって変化するので、橋の下の河川敷を移動しながら鑑賞してみてほしい。

上部のアーチもかっこいい。

橋脚は鉄筋コンクリート製で、鋼板で覆われている。この時代ならではの「リベット接合」も鑑賞ポイントだ。

この京橋を設計したのが20代の若者だったことを知る人は少ない。名前は小西隆。当時、岡山県の技手(のちに技師)だった。設計のみならず施工管理(現場監督)も担当している。実施設計の作成時25歳、竣工時27歳という若さだった。
小西はその後も岡山県内の多数の橋梁の設計に携わっている。京橋は1922年(大正11年)の追加工事で幅員を6間から8間に拡張したが、この設計も小西がおこなった。拡幅工事によって京橋は路面電車の通行が可能になった。
京橋の下に立っていると、ときどき頭上から路面電車のギーッという走行音が聞こえてくる。まだ旭川の舟運が盛んだった時代、当時の人々も路面電車の音を頭上に聞きながら、この橋脚を眺めていたのだろう。

【参考資料】
岡山市|「明治150年 岡山の京橋 〜幕末、明治から大正へ〜」
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