ずっと型板ガラスを鑑賞してるんですが、窓ガラスに注目していると、型板ガラス以外のガラスも見ることになります。結霜(けっそう)ガラスもその一つ。
結霜ガラスは型板ガラスではなく、板ガラスの表面に膠(にかわ)を使って模様をつけたものです。グルーチップガラスとも言います。
まず、板ガラスに膠を塗ります。そして乾燥させます。すると膠が収縮してガラスの表面が割れてきます。最後に乾燥した膠もろとも、割れたガラスを剥ぎ取ります。できあがり。
つくり方を見ると分かるように、これは乾燥という自然現象によって生まれる模様です。だから結霜ガラスはすべてが一点モノで、まったく同じ柄のものは二つとありません。
この霜のような、あるいはシダのような模様のガラスが、古い建物に残っていることがあります。以前、記事にした岡山禁酒会館でも見ることできます。
「集会場」の窓。いくつかは昭和時代の型板ガラスと入れ替わってますが(割れたんでしょうね)、結霜ガラスが何枚か残っています。竣工当時(大正12年)のものだと思います。
結霜ガラスは明治末期頃から国内の板ガラスメーカーが生産していましたが、1940年(昭和15年)以降はつくられていません。
つまり結霜ガラスが使われている建物の竣工が戦後ということは考えにくい。
もちろん、ストックされていた結霜ガラスがのちに使われたケースもあるかもしれない、とも考えられますが、そんなに多いとも思えません。おおむね「昭和初期かそれ以前」と考えてよいのだろうと思います。
下の写真は岡山市内で見かけた平屋。それほど古い建物に見えなかったのですが、おそらく改修しているからでしょう。
以前、岡山市北区出石町を歩いて「戦災焼失地の内と外(1)」という記事を書きました。出石町に残る戦前の建物をいくつか紹介しましたが、ここに出てくる「街角ふれあいビル」の斜め向かいに、下の建物があります。
この建物は明治時代に建てられたもので、右側にある陳列ケースは、大正時代に撮影された写真にすでに写っているそうです。
ガラスは新しそうなので後年入れ替えたものだと思いますが、木枠などを見るといかにも古そう。
と、思いながらよく見ると……!
ケースの奧の仕切りガラスが結霜ガラス。「大正時代の写真に写っている」というその写真を私は見ていませんが、結霜ガラスがその裏付けになっています。
どこかで結霜ガラスを見かけたら、「1940年(昭和15年)以降はつくられていない」という豆知識を思い出してみてください。
【参考文献】
加藤雅久・真鍋恒博「明治期から昭和初期までのわが国における型板硝子等の変遷」(日本建築学会計画系論文集 第524号、1999年)
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