これは、市史が発行された当時の岡山市の地図に、空襲被災エリアを重ねたものです。
自治体が発行した書籍であること、刊行から60年以上経過して入手が困難になっていること、現在ウェブ上で閲覧するすべがないこと、そして公益に資する内容であることを考慮し、掲載することにしました。

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『岡山市史 戦災復興編』(岡山市史編集委員会編、昭和35年/1960年)
このような詳細な記録が残っているのは、戦後まもない頃に被災状況を調査・記録した人がいたからです。岡山市立中央図書館の「岡山空襲の被害はどのようにして把握されたか」にその経緯が詳しく書かれています。
以下に要点をまとめます。
●昭和21年、郷土史家の岡長平が、岡山市長・橋本富三郎に「今のうちに精密な戦災の被害調査をしておくべき」と進言した。
●橋本富三郎はこれに賛同し、予算を確保。
●岡山市は、調査と記録を民俗学研究者の岡秀俊に依頼した。岡秀俊を推薦したのも岡長平。岡秀俊はこれを引き受け、昭和21年10月から翌22年3月まで5ヶ月にわたって戦災の記録を採集した。
●しかしこの調査記録は出版されず、未成稿のまま岡山市立図書館の書庫に納められた。
●出版はされなかったが、当時の図書館長だった吉岡三平がこの調査記録を編集し、『岡山市町別戦災調査資料』と題した一冊の本にまとめ、館に保管した。
●昭和30年より岡山市が市史の編纂を開始。昭和33年に『概観岡山市史』が刊行されたのを皮切りに、昭和43年までに全10巻が刊行された。このうちの一巻が「戦災復興編」。本書には、岡秀俊による昭和21〜22年の戦災調査の成果が随所に取り入れられた。
というような経緯だったそうです。この「焼夷弾爆撃に依る焼失状況」にも、当然その成果が反映されているはず。
まだ暮らしが不安定だった時期に「今、記録しておかなければ」と考え、実行した人たちがいたことを覚えておきたいと思います。
次回の記事では、この地図を見ながら岡山市中心部を歩きます。
>>戦災焼失地の内と外(1)
>>戦災焼失地の内と外(2)
>>戦災焼失地の内と外(3)