2020年11月17日

瑜伽山加圧ポンプ場と門田喞筒場

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1936年(昭和11年)に竣工した瑜伽山加圧ポンプ場(当時の名称は操山調整池)
『岡山市水道誌』(1965年発行)より


岡山市中区平井の丘陵地に、瑜伽山(ゆがさん)加圧ポンプ場という上水道施設がある。同地近傍に瑜伽神社という神社があるので、そこから名付けられたのだろう。ただ、この山を瑜伽山という名前で認識している人は少ないと思う。

岡山で「ゆがさん」と聞けば、岡山県倉敷市児島地域にある由加山(由加神社)を思い浮かべる人がほとんどだろう。そして由加山の由加は、正式には瑜伽と書く。つまりここの瑜伽神社は、児島の由加神社本宮の分社なのだ。

瑜伽山加圧ポンプ場は1984年(昭和59年)に竣工しているが、ここにはそれ以前から上水道施設が存在していた。以前の名前は操山調整池。

この操山調整池、「みさおやま」と読ませるのか「そうざん」と読ませるのかは確認できていないが、おそらく「そうざん」だろう。岡山市民にはお馴染みだが、単体の山としての操山は「みさおやま」、みさおやまを含む丘陵地全体としての操山は「そうざん」と言う。同施設は丘陵地の南端に位置するので、普通に考えれば「そうざん」だ。

瑜伽山加圧ポンプ場と、その前身、操山調整池の成り立ちについて調べたので以下に記したい。



操山調整池は1936年(昭和11年)に竣工した。岡山市水道局による第3期拡張工事に含まれる事業で、旭東エリア(地蔵川以東の丘陵住宅地や湊、平井方面)への配水を目的としてつくられた。その際、同施設の北西に門田喞筒場(かどたそくとうじょう/岡山市中区門田本町)もつくられた。
※喞筒=ポンプのこと

第3期拡張工事は昭和7年度から10年度の4ヶ年事業として計画されていた。しかしその途中の昭和9年、岡山市は室戸台風による大洪水に襲われ、上水道施設も甚大な被害を被る。

その結果、第3期拡張工事は当初の計画より遅れて1937年(昭和12年)に完了することになる(今後の災害に備え計画内容の変更もされたため)。

操山調整池の築造工事は花崗岩に阻まれて難航したが、予定通り1936年(昭和11年)に完成、旭東エリアへの配水が始まった。上水道の敷設は永年の念願だったため、住民の喜びはひとしおだったという。岡山市で上水道の送水が始まってから、このとき30年以上が経過していた。

1981年(昭和56年)、操山調整池に1池を増設して配水能力を増強。1984年(昭和59年)には同地に加圧ポンプ場を新設、「瑜伽山加圧ポンプ場」と命名される。同時に門田喞筒場は廃止された。そして現在に到る。

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山道を進んでいくと……

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樹木に覆われて、こんな構造物が。

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アーチの中のコンクリートブロックは新しそうだ。後から塞いだのだろう。

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右書きで「清泉洞」と書かれている。左側には縦書きで「昭和十一年」。

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その向こうにフェンスで囲まれた敷地がある。ここが「瑜伽山加圧ポンプ場」。もちろん立入禁止だ。
【追記】地元の小学校出身の知人が教えてくれたのですが、小学生の頃(80年代)、遠足でここに来てお弁当を食べていたそうです。「水源地」と呼んでいたそう。当時は入ることができたんですね。私も、敷地内にトイレが見えたので「かつては市民に開放されてたんだろうな」と思いながら見ていました。

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隙間からなんとか撮影。冒頭の『岡山市水道誌』にも載っている建屋が見えた。80年以上前のコンクリート構造物だ。

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建屋は2棟あり、こちらは大きいほう。その裏側。現在はトタンで塞がれているが、『岡山市水道誌』の写真を見ると、もとはガラス窓だったことが分かる。

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こちらは門田喞筒場。

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門柱のスクラッチタイルやアールデコ調の飾りが時代を感じさせる。

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外壁は塗り直したのかもしれない。

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前述のように、今はもう使われていない。

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かつて洋館や医院などに好んで植えられたシュロ。

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中が見てみたい。

参考文献
『岡山市水道百年史』
『岡山市水道誌』
『岡山市水道史 追録』
『岡山市水道史 追録U』





posted by pictist at 06:49| 都市鑑賞