2020年06月11日

旧岡山刑務所の痕跡

現在、岡山市立中央図書館と二日市公園(岡山市北区二日市町)がある敷地には、1969年(昭和44年)まで岡山刑務所があった。この地に刑務所が置かれたのは1874年(明治7年)のことで、当時は「懲役場」と呼ばれた。その後「岡山監獄」と改称し、1922年(大正11年)より「岡山刑務所」となる。

二日市公園の南側には花崗岩の基礎が残っており、また一部、コンクリート塀の跡も見られる。

IMG_8802.jpg

IMG_8810.jpg

岡山刑務所は1945年(昭和20年)の岡山大空襲で壊滅している。しかしコンクリート塀は残った。下の画像は米軍が終戦後、1946年(昭和21年)に撮影した映像よりキャプチャしたもの。

旧岡山刑務所02.png
デジタル岡山大百科|終戦直後の岡山(映像編:旧岡山刑務所の映像)より

周囲に水路があったことが分かる。現在は暗渠。

旧岡山刑務所01.png
デジタル岡山大百科|終戦直後の岡山(映像編:旧岡山刑務所の映像)より

残ったコンクリート塀は再建後も利用され、刑務所の移転後に解体されたのだろう。

IMG_8806.jpg

ところで、少し気になるのが上記の石積み(南側・旭川寄り)と、下記の石積み(南側・岡南町寄り)の雰囲気が異なることだ。

IMG_8803.jpg

なぜなのか気になるが、謎としてここに置いておく。隙間がセメントで固められているのは後年の修復によるものだろうと推測している。

この地にはかつて岡山藩の米蔵があった。『岡山刑務所の沿革』(昭和27年)に下記のような記述がある。

《この土地は旧岡山藩の米廩であって一歩蔵と言われていたのを修理改築して懲役場に充てたもの》

※米廩(べいりん)=米蔵のこと



この石積みがいつごろつくられたのかは分からないが、敷地を高くしたのは河川(旭川)のすぐそばだからだろう。旭川はたびたび氾濫したため、流域では石積みによって敷地を高くすることが多かった。今もあちこちに古い石積みが残っている。

さらに言えば、岡山は花崗岩の産地なので石造物がつくりやすかったという背景もある。

有名な文化財だけではなく、こうした日の当たらない遺物にも、実は「その土地らしさ」「岡山らしさ」が宿っているのだ。




posted by pictist at 00:48| 都市鑑賞