
型板ガラスを10年以上、撮り集めてきた。主な商品はほぼ撮り終えたので最近はあまり撮影をしていないが、今も建物の窓を気にしながら歩く癖は治っていない。
現在、日本のガラスメーカーが製造している型板ガラスは「梨地」「霞」の2種類のみで、昭和時代に比べると圧倒的に少ない。かつて数十種あった商品ラインナップのほとんどは製造されていない。なぜだろうか。
住宅着工数が減っているという現実はあるにせよ、窓ガラスの需要はあるわけだから、型板ガラスのデザインの選択肢がもう少し残っていてもよさそうなものだ。流行の盛衰があるにしても、この少なさは極端すぎないだろうか。
型板ガラスの衰退の理由としてよく言われるのが「カーテンの普及」だ。しかしこの説明はどうも腑に落ちない。型板ガラスが流行していた当時、1960〜70年代にもカーテンは存在していた。そもそも「カーテンがあるから型板ガラスはいらない」とはならないだろう。
それに外窓だけが窓ガラスではない。屋内のガラス障子や仕切り壁にもガラスを使うことがある。昔はそういった箇所にも型板ガラスが使われていた。今でもいろんな模様の型板ガラスがあれば使いたい人はいるはずだ。それなのになぜ、型板ガラスの選びしろがこんなに少ないのか。
私は、板ガラスの製造方式が変わったからではないかと考えている。
型板ガラスは「ロールアウト法」で製造される。2本のロールの間に溶けたガラスを流して板状にする製造方法だ。このロールに模様を彫り込むことで、間を通るガラスに模様をつけるという仕組みだ。
1950年代、イギリスで画期的な板ガラスの製造法が開発された。「フロート法」である。これは溶融したガラス素地を溶融したスズの上に浮かべて板状にする製造方法だ。フロート法は低コストで平坦かつ平滑な板ガラスをつくることができるため、ガラスメーカー各社は続々とフロート法を導入していった。1965年に日本板硝子が、翌1966年には旭硝子が導入している。
フロート法はその原理上、模様入りガラスをつくることができない。
少しずつ設備の置き換えがおこなわれ、時代と共にロールアウト方式の製造ラインが少なくなっていったのだろう。板ガラス生産に占めるフロートガラスの割合は1970年で20%弱だったが、1981年には70%に迫り、80年代中頃には80%を越えている。型板ガラスの衰退時期とぴったり重なっている。
置き換えのペースが緩やかなのは、「フロート法で製造できるガラスの厚み」の範囲が当初は少なかったからだ。技術革新に伴って、より薄いガラスの製造が可能となり、それと共にフロートガラスの生産量が増えていった。
これこそが型板ガラスの衰退の主要因なのではないだろうか。現在も日本の板ガラスはほぼフロート法で製造されている。
ところで、ガラスの中に金網が入った「網入りガラス」という製品がある。通常の窓ガラスより強度があり、また延焼防止効果もあるため、現在も様々な場所で使用されている。この網入りガラスは、ロールアウト法でしかつくることができない。だから型板ガラスの製造設備がゼロになることはない。
とはいえ、ほとんどの種類の型板ガラスは今後新たにつくられることはないだろう。今のうちに鑑賞しておきたい。
【参考文献】
「板ガラス成形技術の変遷―フロート法の台頭と技術の棲み分け―」(大神正道、2009年)