
よき存在感。

かなり年季が入っている。

なぜ、ここに球が。

球はこの一ヶ所だけで、他には見あたらない。

コンクリート球の下に縦溝がある。実はこの溝、水害対策用につくられたもの。河川が氾濫したとき、ここに堰板を差し込んで水を食い止めるのだ。このコンクリート球は、緊急時に溝の位置がすぐに分かるように設置されたものらしい。

これは国道をはさんだ向かい側に設置されている縦溝。こちら側にはコンクリート球はない。
このコンクリート球と塀は1938年(昭和13年)につくられたものと推測できる。なぜならその年に国道が新設されたからだ。この新国道は当時、三勲小学校の校地を貫くかたちで敷かれた。それに伴って三勲小学校は校地を大幅に改修した。だから国道沿いのこのコンクリート塀も同年につくられたと考えられる。
「国道を横断する堰板対策」は、今の感覚からすればずいぶん大袈裟に思えるが、当時の人々がこれを設置した気持ちはよく分かる。
1934年(昭和9年)。岡山市中心部は室戸台風によって甚大な被害を受けた。広範囲が浸水し、ここ三勲小学校の周辺も1メートル以上浸水したらしい。ほんの4年前にそんな経験をしているのだ。
このコンクリート球は、いわば岡山の水害の記憶だ。室戸台風に限らず、岡山は昔から水害に悩まされ、戦ってきた。その歴史を象徴する一種のモニュメントとして、このコンクリート球を捉えなおしたい。
【おまけ】
コンクリート球の北、国道が御成川(おなりがわ)を渡る位置に三勲橋という橋がある。裏付けとなる資料は見つかっていないが、おそらく三勲橋も国道造成・校地改修の年(1938年)に竣工したものだろう。前述のように、この国道は校地を貫くかたちで新設されたので、それ以前にはここに橋は存在していなかった。ただし、竣工当時から三勲橋と呼ばれていたかどうかは不明だ。
この橋もたいへん見ごたえがある。コンクリート球と併せて鑑賞してほしい。







ちなみに三勲小学校は今年(2023年)、創立100周年を迎えます。
【参考文献】
『岡山市立三勲小学校創立七十周年記念誌』