
「岡山芸術交流2022」が岡山市で開催中だ。メイン会場の旧内山下小学校に、プレシャス・オコヨモン(Precious Okoyomon)の《太陽が私に気づくまで私の小さな尻尾に触れている/Touching My Lil Tail Till the Sun Notices Me》という作品が展示されている。水のない廃プールの底に横たわる、巨大なクマのぬいぐるみである。
このクマは白い下着を穿いている。下着は直接的には陰部を保護するためのものだが、社会的には人間の性的羞恥心と結びついている。動物は性的羞恥心を持たない。私たちは一瞬、ただのぬいぐるみの中に、自分たちと同じ心の働きを見てしまう。作者はあきらかに、鑑賞者が人間を思い浮かべることを意図している。

下着には小さなピンク色のリボンがついている。女性向けの下着によくあるデザインだ。ここで私たちは「人間の女性」を連想する。女性(または女の子)が、下着一枚の姿で寝転んでいる。あるいは寝転ばされている。
このクマを単なる「動物のクマさん」のままにさせておかない仕掛けがもう一つがある。股間の中央、ちょうど人間の性器にあたる部分に、わざわざハートマークが刺繍されているのだ。それが性的な存在であることを示唆するかのように。

クマはプールの底に横たわっている。プールサイドに立つ鑑賞者は、必ずクマを「見下ろす」ことになる。私たちは最初から優位なところにいて、無抵抗な、下着姿のそれを、上から見つめる。
このクマは、さわってもよいことになっている。プールの底に降りてさわってもいいし、望むなら上に乗ってもいい。安心だ、相手は決して反撃してこない。私たちは最初から優位なところにいて、無抵抗な、下着姿のそれを、さわり続けることができる。
裏返せば、それは最初から抑圧されており、抵抗を許されず、ただ命じられた場所に寝転び続けている。どれだけ覗き込まれても、どれだけさわられても拒否することはできない。私はこの作品に、権力構造の中でおもちゃのように扱われてきた人々の姿を重ねずにはいられない。
本作の解説パネルを丹念に読みこんだ人はどのくらいいるだろう。そこにはこう書かれている。この作品が表現しているのは「the catastrophe of desire(欲望の破滅)」である。破滅するのは、誰の欲望だろうか。
プレシャス・オコヨモンは、2018年に同じくクマのぬいぐるみを使った作品を発表している。今回のような巨大ぬいぐるみではなく通常サイズのぬいぐるみだが、クマのお尻のあたりが破れており、中からシュレッダーで刻まれた書物の破片が飛び出ているというものだった。
作品のタイトルは《I NEED HELP》。それは、抑えつけられ、傷つけられてきた人々の切実な叫びだ。
【参考資料】
Tokyo Art Beat|「岡山芸術交流 2022」レポート。その"交流"が排除するのは誰か。
【補記】
プレシャス・オコヨモンと共有スタジオを持つアーティストで、ルームメイトでもあるショーン=キア・ライオンズ(Sean-Kierre Lyons)は、2021年のインタビューでこんな発言をしている。
「かわいいものが自分を攻撃してくるなんて、誰も予想しないでしょう。かわいさにはユーモアも隣り合ってるから、私はそれも作品に利用します。これは直接的な暴力を回避する私なりのやり方なんです」
>>KILLER CUTIES WITH SEAN-KIERRE LYONS
この考え方を、オコヨモンも共有しているのではないだろうか。本作の解説パネルにも「かわいさを概念的な戦略として利用し」と書かれている。そう、これは戦略だ。
「無力な、かわいいクマの女の子」は、自分を見下ろす者の「欲望」をじっと見つめ返している。
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