
岡山駅南地下道(1999年竣工)は、岡山駅からイオンモール岡山まで続く地下道だ。この通路は駅側からイオンモールに向かって、かなりの下り坂になっている。そのため、突き当たりで「地下2階」からイオンモール岡山に入ることになる。なぜこんなに深く掘ったのだろうか。

地下道の南端はイオンモール岡山のゲート。東側の階段にはエスカレーターも設置されている。


階段の下から地上を見上げる。深い。

途中の踊り場。ここで半分の深さだ。

東側階段の入口。
岡山駅南地下道はなぜこんなに深いのか。それは、水路の下をくぐる必要があったからだ。地下道の南端の頭上を、能登川用水という用水路が直交方向に流れている。
当該部分の能登川用水は暗渠になっている。だから水路の下をくぐっていることに気づく人は少ないかもしれない。
南北の赤ラインが岡山駅南地下道。東西の青ラインが能登川用水の暗渠。
マップを見ると分かるように、能登川用水は西川用水(通称:西川)から分岐している。西川用水は、岡山市街中心部を流れるかつての灌漑用水だ。江戸時代にはすでに存在しており、岡山城西部・南部の農村地帯を潤してきた。現在は「西川緑道公園」として整備されている。

西川。正面に見えているのが能登川用水の樋門だ。

ここから取り込まれた能登川用水が、道路の下を流れている。

正面方向に、足元を能登川用水が流れている。

西へ向かうと、途中で道路の真ん中にグレーチングが現れる。暗渠がある証拠だ。


左にイオンモールと岡山駅南地下道の入口が見える。

岡山駅南地下道の入口のそばから反対方向(東)を見たところ。この足元あたりで、地下道と水路が立体交差している。

再び地下道南端。この頭上あたりを能登川用水が流れている。

イオンモールの西側で能登川用水が顔を出す。ここから開渠になる。

岡山市には用水路が網の目のように張り巡らされており、総延長は約4000kmにも及ぶ。それらは当然のことながら、近年になって急にできたものではない。田畑に水をひくため、つまり生きていくために、長い年月をかけて人々がつくってきたものだ。
このようななんでもない傾斜にも、都市の歴史が宿っている。

この写真はイオンモール岡山ができる前の岡山駅南地下道。見えにくいが、当時はまだ突き当たりが壁になっている。
以下、余談。
イオンモール岡山がある場所は、以前はバイオ企業「林原」の所有地だった。ここには林原の社屋と、同社が経営する有料駐車場「林原モータープール」があった。その土地をイオングループが買い取ったというわけだ。
ネット上には「岡山駅南地下道は、ハヤシバラシティ構想に連動してつくられた」とする記述が見られるが、これは根も葉もない作り話である。
ハヤシバラシティ構想というのは、林原が2002年に発表した自社所有地の再開発計画で、総事業費1500億円をかけてホテル、百貨店、博物館などが並ぶ街区をつくるというものだった。しかしこの計画は具体的な進展を見ないまま頓挫する(林原は2011年に経営破綻した)。
岡山駅南地下道はイオンモール岡山のオープン(2014年)のはるか前からあるので、「ハヤシバラシティ構想に連動してつくられたのだ」と思い込む人が「事後的に」生まれたのだろう。
ハヤシバラシティ構想と岡山駅南地下道を関連づける話は、デマである。なぜならハヤシバラシティ構想が発表された2002年には、岡山駅南地下道はすでに開通しているからだ(1999年竣工)。
そもそも、いち民間企業の「構想」のために、行政が先まわりして地下道を建設したりするはずがない。
【参考文献】
・小野芳朗・竹内晋平「水路都市岡山の近世一西川用水前史」(土木史研究論文集Vol.28、2009年)
・岡山市|こんなにあります農業用施設【あわせて読みたい】
ある樋門の謎(不在の銘板)
posted by pictist at 04:16|
都市鑑賞