
ウェブサイト「日本ピクトさん学会」に先日書いた文章を以下に転載します。ピクトさんの鑑賞を始めて20年ということでなんとなく書き始めた文章がけっこう長くなったので、こちらのブログにも残しておきます。
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私が「ピクトさん」という切り口で人物型ピクトグラムを鑑賞しよう、と思い立ったのは2001年のことでした。今年でちょうど20年経つことになります。
20年続けても、まだ飽きない。時代の移り変わりの中で新たなピクトさんが登場するし、同じジャンルのピクトさんにもいろんなバリエーションがあるから。そしてなにより、「ピクトさん」はイマジネーションが支えているものだからです。
日本ピクトさん学会会長の私がこんなことを言うのもなんですが、「ピクトさん」という人間は、実際には存在しませんよね。「ピクトさん」というのは一種の見立てです。「この記号がもし本当に人間だったら」と想像を広げる行為です。
そのイマジネーションを他者と共有しながらおこなう鑑賞活動が「ピクトさん」です。私が飽きずに今までやってきたのは、そのことが大きなモチベーションになっているからだと思います。自分が生み出したイマジネーションを中断したくないという心理があったような気がします。
『ピクトさんの本』刊行の3年後に、『100均フリーダム』という本を出版しました。一見、まったく違うジャンルの本のように見えると思いますが、私の中ではほとんど同じことをしたつもりです。
『100均フリーダム』は、100円ショップで売られているいいかげんな商品たちを「作品として褒め称える」というコンセプトで書いた本です。「100均作家」なんて実際にはいないし、100均グッズに一般的な意味でのクリエイティビティと呼べるようなものはほとんどありません。
でも「フリーダム」という価値観を導入することによって、がらくたのような100均グッズが突然、輝き出す(ような気がする)。誰かにそのイマジネーションが伝わることは、私にとって大きな喜びでした。
残念ながら100円ショップはここ10年で洗練され、今はもう『100均フリーダム』に掲載しているような商品はほとんど売られていませんが、「共有したイマジネーション」は読者のみなさんの中に残り続けてるんじゃないかと思います。
『ピクトさんの本』を出版したときも『100均フリーダム』を出版したときも、インタビューなどで「コレクターなんですね」と言われることがときどきありました。
私はそのたびに、「いや、コレクターとはちょっと違うんですよね」と言いつつ、短い時間で自分がやっていることを説明するのに苦労していました。
収集をしなければ始まらないので、その意味ではコレクターなんですが、「収集欲を満たすこと」が最終目的ではない。
私はそれらを、イマジネーションを駆使して読み替えることが楽しかった。いわば「現実の二次創作」のようなおこないです。ピクトさんと100均フリーダムはその点で共通しています。
わわ。ふと「20年かー」と思って書き始めたらこんなに長くなってしまいました。
私は今は「都市鑑賞者」と称してピクトさん以外にもさまざまなジャンルのものを鑑賞していますが、すべてを同じ動機(欲望と言ってもいい)で鑑賞しているわけではありません。それこそシンプルなコレクション欲だけで撮っているジャンルもあります。
そんな中で、「ピクトさん」や「100均フリーダム」と近い系統に入るのが「台の鑑賞」というジャンルです。ツイッターに #台の鑑賞 というハッシュタグをつくってときどき投稿しています。
同じ人間の中でも、ジャンルごとに鑑賞動機が少しずつ違うってことあるよね、という話についても、いつかきちんとまとめて書いておきたいと思っています。
posted by pictist at 23:40|
ピクトさん