2021年10月21日

「柳川ロータリー」の謎

岡山市中心部に「柳川(やながわ)交差点」という交差点がある。南北を通る「柳川筋」と、東西を通る「桃太郎大通り」が交差するポイントだ。

地元では、柳川交差点は「柳川ロータリー」と呼ばれている。しかしこの交差点は、過去に一度もロータリー交差点だったことはない。それなのになぜ、「ロータリー」と呼ばれているのだろうか。

結論を先に書くと、分からない。

繰り返すが、この交差点がロータリー交差点だったことはない。しかし岡山市民は、昭和中期に柳川交差点が整備されたときから現在まで、ずっと「柳川ロータリー」と呼んでいるのだ。「そう呼ぶ人もいる」といったレベルではなく、かなり一般化している。たとえば岡山のまちの歴史に関する書籍などを見ても、柳川交差点の写真の下に、あたりまえのように「柳川ロータリー」とキャプションがふってある。

岡山県民の昭和史_柳川ロータリー.jpg
『岡山県民の昭和史』(山陽新聞社、1986年)より。きっぱりと「柳川ロータリー」。文中に「ロータリーがつくられている」と書かれているが、ロータリー交差点はつくられていない。

「かつてロータリー交差点だった時期があるから、そのなごりでロータリーと呼ばれているのだ」と思い込んでいる人も多いようだが、柳川交差点は最初からずっと十字交差点(整備後は左折導流路付き)である。

「ロータリー交差点」とはなにか、についての詳しい説明は省略するが、だいじなポイントだけ書くと「交差点の中央に島がある」ことがロータリー交差点の絶対的な条件だ。中央に島のない交差点はロータリーではない。



なぜ岡山市民が柳川交差点を柳川ロータリーと呼ぶのか、理由は分からないが、きっかけは分かっている。柳川交差点はかつて、ロータリー交差点として整備する「計画」があった。

昭和34年に当時の岡山県道路課長・太田龍亀らによって書かれた論文「岡山市内ロータリーにおける交通処理について」(『第5回 日本道路会議論文集』所収)によると、柳川交差点は以下のような流れで整備されたという。
※岡山市ホームページ「都市計画の歩み」を参考に内容を補足

昭和2年、岡山市の都市計画街路網を決定する。

昭和20年6月、岡山市街が戦災で焦土と化す。

昭和20年12月、「戦災地復興計画基本方針」に基づいて復興事業に着手する。

昭和21年、戦前の計画を前提としつつも内容を抜本的に見直し、岡山特別都市計画街路を決定する。

この時点では、岡山市街の主な交差点6ヶ所をロータリー方式にする計画だった(柳川、大供、大雲寺、清輝橋、十日市、門田屋敷)。

しかし交通情勢の急激な変化により、ロータリー方式について再検討する必要が生じてくる。

昭和32年、柳川交差点の舗装工事に際してロータリー方式の計画を中止し、信号方式にあらためることが決まる。

計画の変更が決まった昭和32年当時、そしてこの論文が書かれた昭和34年当時、柳川交差点はどんな様子だったのか見てみよう。

柳川交差点_昭和32年.jpg
昭和32年(1957年)に撮影された柳川交差点。『岡山の今昔 航空写真集』(山陽新聞社、1991年)より
※写真上が西(岡山駅方面)

柳川交差点には路面電車が走っている。戦前から運行しており、戦後も焼け野原の中、すぐに復旧した。昭和32年のこの写真にも写っている。

柳川交差点の整備は南側(写真左側)から先に始まったらしく、北側にはまだ建物が残っている。このあと道路の拡幅とともに本格的な整備が始まる、そんなタイミングで撮影された写真だ。

下記写真の赤い帯の部分が現在の桃太郎大通り。つまり、この帯にかかっている建物は、このあとなくなることになる。

柳川交差点_昭和32年b.jpg

また、この場所は円形に用地取得されていることが分かる。ロータリー交差点は中央に島をつくり、その周囲を自動車がまわりながら進む。だから用地を円形に取ったのだろう(ただ、ロータリー交差点は必ずしも用地全体が円形である必要はないのだが)。

そしてこちらが2年後、昭和34年(1959年)の柳川交差点。

柳川交差点_00960-C5.jpg
昭和34年(1959年)3月/岡山県立記録資料館所蔵写真(登録番号00960-C5)

この写真はさっきと方向が逆で、上が東になる。つまり先ほど建物が残っていたエリアは左側。建物がなくなり、舗装工事が始まっている。そして次の写真は2ヶ月後。

柳川交差点_01049-C2.jpg
昭和34年(1959年)5月/岡山県立記録資料館所蔵写真(登録番号01049-C2)

大通りが完成。左折導流路が設けられ、現在の柳川交差点の原型ができあがっている。この年で柳川交差点の整備はほぼ完了する。

柳川交差点_01055-A1.jpg
こちらも同じく昭和34年(1959年)5月の写真/岡山県立記録資料館所蔵写真(登録番号01055-A1)

岡山の昔の街並みが掲載されている書籍を見ると、こうして新しくなった交差点のことを「柳川ロータリー」と書いている。ただ、一つだけ「ロータリー状に整備」という言い方をしている文章を見つけた。

ロータリー状。

「状」とはなんだろうか。よくある「なになに風」みたいなものか。「個室風居酒屋」みたいな。それ個室じゃないよねっていう。

ロータリーではなくロータリー「状」。きっと円形の用地を指してそう言っているのだろう。その「状」がカッコの中に入ったまま、「ロータリー」と呼ばれ続けているのではないだろうか(だとしても納得はできないが)。

話を分かりやすくするためにここまで柳川交差点のことだけを書いてきたが、前述した柳川以外の交差点(大供、大雲寺、清輝橋、十日市、門田屋敷)もそれぞれ円形地になっており、大供交差点は「大供ロータリー」、大雲寺交差点は「大雲寺ロータリー」と呼ばれている。もちろんそれらもロータリー交差点だった過去はない。柳川と同じく計画は変更された。

ちなみに大供(だいく)交差点のそばには、その名も「ロータリー」という老舗喫茶店がある。

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オーナーさんに聞いてみたところ、開業したのはまさに大供交差点が現在の形に整備された頃(昭和33年頃)だそう。このことからも、当時いかに「ロータリー」という言葉が喧伝されたかが分かる。

喫茶ロータリー店内.jpg
60年以上、この場所で営業を続けているTea Room ロータリー。照明がすてき。



ところで、ここまで読んできて、なにか不思議に思ったことはないだろうか。

「柳川交差点をロータリー式にする計画があった」
「ロータリー交差点は中央に島がある」
「柳川交差点には路面電車が走っている」

柳川交差点には戦前から路面電車が走っている。街路計画がどうなろうと、ここに路面電車が走ることは分かっていたはずだ。それなのになぜ、柳川交差点をロータリー式にする計画がされたのだろう。ロータリー交差点と路面電車の運行を両立させることなんてできるのだろうか?

そう思っていたのだが、当時の計画図を見て驚いた。なんと、「中央の島を路面電車が突き抜ける」という計画だったのだ。

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「岡山市内ロータリーにおける交通処理について」(『第5回 日本道路会議論文集』所収)より。左がもともとの計画図、右が計画変更後の実施設計図。

結局実現しなかったわけだが、こんなことが本当に可能なのだろうか。自動車の通行に支障はないのか。でもこの光景、ちょっと見てみたかった。

【追記】海外にはトラムが通るロータリー交差点(ラウンドアバウト)が多数存在するそうです。また、日本国内にもかつて福井などにあったそうです。



前掲2点の柳川交差点の写真(昭和32年/1957年、昭和34年/1959年)に写っている弧状の建物は平成27年(2015年)に解体されるまで、同じ姿のまま残っていた。交差点の南東。珍しい形状と経年による渋みがあいまって、独特の雰囲気を醸し出している物件だった。

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もとからの名称かどうかは分からないが、このビルは「柳川ロータリービル」と呼ばれていた。いわゆるゲタバキ住宅になっており、1階が店舗、上階が住居になっていた。また、このビルは「縦割り」でいくつかのブロックに分かれており、各階を横に移動することができない構造になっていた。1階に入っている各店舗の経営者が、その真上にある住居をそれぞれ所有していたらしい。

竣工年も分からないのだが、昭和29年(1954年)頃に撮影された写真に写っているので、それ以前ということになる。ロータリー計画の中止が決まる前に建てられたわけだ。

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昭和29年(1954年)頃の写真。下にぎりぎり柳川ロータリービルが写っている。※岡山県立記録資料館所蔵写真(蓬郷氏コレクション_道路・港湾-2491_036)

下の写真は建設中の柳川ロータリービル。残念ながらこの写真の撮影年は分からないが、ビルの前にまだ家屋が残っているのが興味深い。

【追記】『岡山市百年史』下巻(岡山市、1991年)によると、1953年(昭和28年)2月に耐火建築促進法にもとづく4つのビルが起工している。その中に柳川ロータリービルが含まれていたのかは定かではないが、この記録が岡山市における耐火建築の皮切りなので、柳川ロータリービルの竣工が昭和28〜29年頃であることは間違いないだろう。

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『岡山復興区画整理誌』(岡山市建設局区画整理部、1984年)より

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『岡山復興区画整理誌』に掲載されている、刊行当時(昭和59年/1984年)の柳川ロータリービル

このビルのいちばん西側に「光田タイル店」というお店が入っていたのだが、そこに「光田建材ビル」と看板表示されていたことを覚えている。前述のように、このビルは複数の自営業者が合同で建てた縦割り構造のビルだ。だから、これは推測だが、ビルの区分ごとに自称が異なっていたのではないだろうか。

とはいえ、いずれにしても柳川交差点は柳川ロータリーと呼ばれ、このビルは柳川ロータリービルと人々から呼ばれ続けた。この大きなカーブは、「ロータリー状」を市民に強く印象付けたはずだ。

【追記2】その後、柳川ロータリービルの竣工時期が判明した。『岡山市勢要覧 昭和30年版』に建設中の写真が掲載されており、「近く竣成する」という記述がある。

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『岡山市勢要覧 昭和30年版』は1954年(昭和29年)に執筆されているので(1955年3月発行)、柳川ロータリービルの竣工は1954年(昭和29年)中または1955年(昭和30年)初頭で間違いないだろう。

驚いたのは、すでに「柳川ロータリー」と記載されていることだ。まだ柳川交差点の整備が完了していないこの時期からロータリーと呼んでいたとは。ということは、柳川ロータリービルが始めから柳川ロータリービルと呼ばれていた可能性が高まってくる。

下の写真は、柳川ロータリービルが解体される1年ほど前に私が撮ったもの。

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ゲタバキ。

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裏側の様子。

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屋上にペントハウスがあった。昭和20年代の建物としては画期的だったのではないだろうか。

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建物の曲がり具合をなんとか撮ろうとした。

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これは解体直前に撮ったもの。裏側。

柳川ロータリービルはなくなって久しいが、同じく円形の敷地に沿って建てられた「カーブするビル」が、柳川交差点の南西に現存している。安田岡山磨屋町ビル(昭和46年/1971年竣工)だ。

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下の写真は大雲寺交差点の南東角。ここもまた、円形地をなぞるようにビルが建っている。複数のビルが足並みを揃えている点も見ごたえがある。

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実現しなかった都市計画がビルの形に影響を及ぼし、今も残っている。これらの建物が、土地の記憶を保存しているのだと考えると面白い。

ところで、もし岡山市内に本物のロータリー交差点ができたらどうなるのだろう。柳川ロータリーのアイデンティティが崩壊してしまわないか心配だ。

ロータリー交差点とほぼ同じだが少し運行ルールの異なる「ラウンドアバウト」であれば柳川ロータリーの面目もなんとか保てると思うので、もし導入するならラウンドアバウトにしてあげてほしい。


【参考文献】
「岡山市内ロータリーにおける交通処理について」(1959年、『第5回 日本道路会議論文集』所収/太田龍亀、松原尚武、坂手康人)
「岡山市街地のロータリー交差点に由来する円形状空間の独自性とその活用に関する研究」(土木学会『土木史研究 講演集Vol.25』所収/北村尚子、樋口輝久、馬場俊介、2005年)
『岡山県民の昭和史』(山陽新聞社、1986年)
『岡山の今昔 航空写真集』(山陽新聞社、1991年)
『ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 岡山』(蓬郷巌、国書刊行会、1978年)
『岡山復興区画整理誌』(岡山市建設局区画整理部、1984年)
『岡山市百年史』下巻(岡山市、1991年)
岡山市ホームページ
『岡山市勢要覧 昭和30年版』(岡山市、1955年)

※『おかやま街歩きノオト』著者の福田忍さんに柳川ロータリービルについての情報をいくつか教えていただきました。ありがとうございました。


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posted by pictist at 23:53| 都市鑑賞

2021年10月02日

岡山武道館の記録

岡山武道館(1970年/昭和45年竣工)の記録です。

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設計:三菱地所




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旭西排水センターの管理棟がかっこいい

旭西排水センター(旧旭西浄化センター/岡山市北区七日市西町)の管理棟を見てください。

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かっこいい。屋上の展望室が浮いてるところが特にかっこいい。

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登ってみたい。

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1972年(昭和47年)竣工。私と同い年です。市街地からそれほど離れてるわけではないんですが、ちょっと奥まったところにあるので岡山市民でも建物を見たことない人が多いんじゃないでしょうか。

ちなみにテニスコートが併設されていて、誰でも格安で使うことができます。滞水するために広い敷地が必要なので、その上にテニスコートをつくって利用してるんでしょうね。



岡山市の下水処理は、いくつかのエリアに分かれています。旭西排水センターが担っているのは「旭西処理区」と呼ばれるエリアで、これは岡山駅を含む岡山市中心部にあたります(旭西というのは「旭川の西側」を意味しています)。

この旭西排水センターが旭西処理区でなにをしているのかというと、「合流改善」をおこなっています。合流改善とはなにか。

下水道のシステムには「分流式」と「合流式」があります。汚水と雨水を別々の下水管で流すのが「分流式」。汚水と雨水を合流させて1本の下水管で流すのが合流式です。

つまり合流式は、降雨量に影響を受けてしまう。下水処理場の能力を超える量の雨が降ると、未処理水(雨水+汚水)をそのまま川に放流することになります。その際、未処理水の量をなるべく少なくしたり、なるべくきれいにしてから放流する、そのための対策が「合流改善」です。

岡山市中心部「旭西処理区」の下水管は合流式になっているので、通常の汚水処理施設とは別に、この旭西排水センターが活躍しているというわけです。河川を汚さないようにがんばってくれてるんですね。

詳しくはこちらを>> 合流式下水道緊急改善計画について | 岡山市

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posted by pictist at 00:43| 都市鑑賞