2021年03月29日

型板ガラス「しきし」の謎

街で型板(かたいた)ガラスを見かけると撮影している。型板ガラスにはさまざまな柄があり、見ていて楽しい。

日本の型板ガラスは旭硝子、セントラル硝子、日本板硝子の3社が生産していた。ほとんどの商品は昭和中期にリリースされたものだ。当時は各社が競って新しい模様の型板ガラスをつくり、「新柄戦争」と呼ばれるほどの激しい販売競争を繰り広げたそうだ。

その中に「しきし(色紙)」という名前の型板ガラスがある。

型板ガラスを撮り始めて数年経った頃、あることに気づいた。よく見ると、「しきし」には2種類の柄があるのだ。

型板ガラスのファンはまあまあ多いはずだが、このことを指摘した記述はネット上には見あたらない。

まずこちらを「しきしA」と呼ぼう。よく見てほしい。

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しきし_セントラル硝子02.jpg

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四角の中に細い線が刻まれているのが分かるだろうか。ハッチングである。

次にこちら。「しきしB」。

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しきし_旭硝子02.jpg

しきし_旭硝子03.jpg

Aと違って、四角の中はハッチングではなく細かな地紋で埋められている。あきらかに別の柄だ。

『産業技術史資料データベース』によると、「しきし」は旭硝子とセントラル硝子の2社が販売していたようだ。だから「2社がつくっていたこと」じたいは周知の事実なのだが、2種類のデザインが存在しているとはどこにも書かれていない。

どちらかが旭硝子製で、どちらかがセントラル硝子製なのだろうか。もしそうだとして、どっちがどっちなのだろう。

『産業技術史資料データベース』の記述では、「しきし」の製造年は1952年(昭和27年)、メーカーは「旭硝子、セントラル硝子」と併記されているため、あたかもその年に2社が同時にリリースしたかのように読める。はたしてそうなのだろうか。

そこで各社の歴史をひもといてみた。

旭硝子の社史によれば、「色紙」が発売されたのは1952年(昭和27年)。発売年に関しては『産業技術史資料データベース』の記述は正しい。しかし商品名の表記が違う。旭硝子の社史には、ひらがなではなく漢字で「色紙」と記されている。

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『社史』(旭硝子株式会社、1967年)より

次にセントラル硝子の社史によると、同社が初めてオリジナル柄をリリースしたのは1963年(昭和38年)のことで、そもそも上記1952年(昭和27年)にはまだ型板ガラスの製造を始めていない。

そして、その1963年(昭和38年)に初めてリリースしたオリジナル柄第1号が、まさに「しきし」だった。こちらはひらがなで「しきし」と記されている。

旭硝子は「色紙」(1952年)、セントラル硝子は「しきし」(1963年)というわけだ。さて、では上掲2種の、どっちがどっちの柄なのだろうか。

それを解く手がかりは、別の型板ガラスにある。それが旭硝子の「このは」だ。

このは_旭硝子01.jpg
上の左右2枚と、右下の柄が「このは」

このは_旭硝子02.jpg

「このは」は旭硝子が1962年(昭和37年)に発売した新柄で、日本の型板ガラス史上、初めて「ハッチング」を用いたデザインだった。以下、同社の社史より引用。

当社は昭和37年の秋に、従来の型模様の常識を破った、きらびやかなセンスのある「このは」を発売した。この画期的な模様が市場の共鳴を呼び、市場のガラス模様に対する観念が一変し、爆発的な売行きを示した。

また、『産業技術史資料データベース』はこのように解説している。

微細な線のハッチングという、当時としては極めて高度な技術を試みたことにより、光の方向で表情が変わるという新たな機能を実現した。その新しさと、当時普及してきたテレビを媒体に宣伝したことが功を奏し爆発的にヒットした。

セントラル硝子が「しきし」を発売するのは、旭硝子の「このは」の翌年のことである。

ここからこんな想像ができる。セントラル硝子は、旭硝子の「色紙」のデザインを借りつつ、前年にヒットした「このは」に用いられたハッチングを応用することで、自社オリジナルの「しきし」として発売したのではないだろうか。

つまり、ハッチング柄のほうがセントラル硝子製だ。

セントラル硝子は「しきし」発売の2年後、1965年(昭和40年)に「かるた」という新柄をリリースする。これは「しきし」を大型にした模様で、こちらにも同じようにハッチングが施されていた。

かるた_セントラル硝子01.jpg
セントラル硝子「かるた」

かるた_セントラル硝子02.jpg
「かるた」の拡大

『産業技術史資料データベース』は「かるた」についてこう解説している。

大柄な構成だが、その一つ一つに細かな線をハッチングすることにより、光の方向によって輝きがかわる工夫をしている。この細線の手法は1962年の「このは」で初めて試みられた手法である。

セントラル硝子の「かるた」にハッチングが施されていること、そして旭硝子が「色紙」を発売した1952年(昭和27年)にはまだハッチング技術が確立されていなかったことから、上掲のAがセントラル硝子製、Bが旭硝子製であると推測できる。

※いずれの型板ガラスも現在はもう生産されていません。ご自宅にあるという方は、どうぞだいじにしてください。

【2022.2.14追記】
型板ガラスを使って雑貨を製作している @pieni11 さんのツイートにより、セントラル硝子には「しんしきし」という商品もあることが判明しました。 @pieni11 さんが入手した当時の商品サンプル、そこには「しんしきし」と書かれています。これはハッチング入りのしきし柄です。
ここから2つの可能性が考えられます。

(A)セントラル硝子のしきしには「しきし」と「しんしきし」の2種類がある。
(B)セントラル硝子のしきしは1種類で、表記揺れが生じている。

下の画像は『セントラル硝子三十五年史』の表記。最初に発売した柄が「しきし」と記載されている。これは「しんしきし」のことなのか、それともこのあと「しきし」とは別に「しんしきし」がリリースされたのだろうか。

セントラル硝子三十五年史.jpg

謎を解いたと思ったらまた新たな謎が……


【参考文献】
『産業技術史資料データベース』(居住技術研究所、社団法人日本建築学会)
『社史』(旭硝子株式会社、1967年)
『セントラル硝子三十五年史』(セントラル硝子株式会社、1972年)

【あわせて読みたい】
・型板ガラス「菊」の謎(“半”解決篇)
・型板ガラス「アラビヤン」と「クローバ」
・フォードと型板ガラス
・型板ガラスコレクション(セントラル硝子編)
・型板ガラスコレクション(旭硝子編_前編)
・型板ガラスコレクション(旭硝子編_後編)
・型板ガラスコレクション(日本板硝子編)
・型板ガラス_ソフト系と石目系
・型板ガラス_モールとダイヤ
・結霜ガラス




posted by pictist at 07:55| 都市鑑賞

2021年03月18日

石灰世界

以前、仕事である石灰工場を取材したときの写真です。まっ白な世界に迷い込み、取材を忘れてしばらく見とれてしまいました。

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この会社は山で石灰石を採掘し、コンベアで石を運び、破砕し、石灰製品を生産しています。舞い散った石灰の粉が降り積もって、このような白い世界ができあがるんですね。

特別にブログへの掲載許可をいただきました。





タグ:都市鑑賞
posted by pictist at 14:12| 都市鑑賞

2021年03月15日

山陽ビル(表町アルバビル旧館)のオールド送水口

以前、岡山県産業会館のオールド送水口を紹介しましたが、岡山市内にはもう一つ、貴重なオールド送水口があります。それが山陽ビル(表町アルバビル旧館/岡山市北区、1961年竣工)のオールド送水口。南面にあります。

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露出Y型と呼ばれるタイプです。

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露出Y型そのものはまだ多く現存してるんですが、この送水口が「村上製作所」製の「差込式」であるという点で珍しいのです。

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村上製を示すMマーク。

送水口のホース接続口には「ねじ式」と「差込式」の2種類があるのですが、村上製作所製のオールド送水口は「ねじ式」が多く、「差込式」は出荷数が少ないのです。だから現存数も少ない。

送水口のホース接続口は、かつて東京都内は「ねじ式」、それ以外の地域は「差込式」と定められていました。村上製作所は東京のメーカーなので、「ねじ式」の出荷数のほうが多かったわけです。

そしてときどきはこうして地方へ販売することもあり、当然その場合は「差込式」を出荷していたということですね。

「ねじ式」は下のようなタイプ。接続口の横に突起が出ているのが分かるでしょうか。この突起があるのがねじ式。

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冒頭の山陽ビルの送水口をもう一度見てみてください。突起がありませんよね。

今回の記事を書くにあたって、村上製作所の村上善一社長より製品の歴史について詳しくご示教いただきました。ありがとうございました。



余談ですが、山陽ビルにはもう一つ、珍しい設備が残っています。ダストシュートのように上の階から投函できるシュート式ポストです。

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これは2階の廊下にある投函口。さらに上(3階以上)からもつながってるのが分かりますね。

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ここから投函すると、

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1階に到達。

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集荷は2008年に廃止されています。



余談をもう一つ。タイトルに山陽ビル(表町アルバビル旧館)と表記していますが、カッコの中の「表町アルバビル旧館」というのは旧称ではなく、現在も使われている名前です。つまりこのビルには二つの名前があるのです。

1階と2階が「山陽ビル」、3階から上が表町アルバビル旧館となります。1・2階と3階以上とでオーナーが異なるので、呼び名も違うのだそうです(隣りに表町アルバビル新館ができたので「旧館」になっています)。

もともとは全体が「山陽ビル」だったのだと思います。昔の写真を見るとそう称しているので。

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『岡山の建築 1950-64』(岡山県建築士会、1964年)より

11号ビルというのは「中之町11号ビル」という意味。当時、表町商店街につくられた数々の不燃化ビルのうちの一つです。


【関連記事】
>>送水口博物館に行ってきたよ





posted by pictist at 19:21| 都市鑑賞

2021年03月13日

岡山市民会館の記録

岡山市が、岡山市民会館(1963年/昭和38年竣工)を取り壊す方針を表明したというニュースが流れてきました。新市民会館「岡山芸術創造劇場」の開館(2023年夏頃予定)に伴う判断だそうです。

下記は以前、岡山市民会館を見学したときの記事。

>>岡山市民会館のかっこいい場所

このとき掲載しなかった写真があるので、以下にご紹介します。まだ取り壊しが確定したわけではないと思いますが、いずれにしても今のうちにしっかり鑑賞しておきましょう。

岡山市民会館は「おかやまの歴史的土木・近現代建築資産」にも紹介されている建物なので、もったいないですね。

>>歴史的土木・近現代建築資産一覧|岡山市民会館

他の自治体では、取り壊しを予定していた建物が、その後、一転して再活用されることになったという例もあります。

大好きなバンド、ザ・クロマニヨンズのライブをここで何度も見ました。閉館までにもう一回くらい、岡山市民会館でライブを見たいなあ。

【2022年追記】
岡山市民会館が、DOCOMOMO Japanによって文化的・社会的価値が高い「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選出されたというニュースが入ってきました。DOCOMOMO Japanは建築遺産の保存に取り組む国際組織DOCOMOMO(ドコモモ)の日本支部です。同支部は岡山市民会館について「保存しながら再利用する代替案もある」とコメントしています。

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設計は佐藤武夫事務所。佐藤武夫は音響学と建築をつなぐ建築音響学の先駆者で、日本建築学会の会長も務めました。

下記は南の立面図ですが、設計段階では北西に時計付きの塔を建てる計画だったことが分かります。

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しかし実際には下のように、塔は途中で途切れており、国旗掲揚ポールのみが高く伸びています。

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なぜ計画を変更して塔をやめたんでしょうね。

【追記】
その後、山陽放送会館の「映像ライブラリーセンター」でこんなパネル説明を見ました。こういう理由だったんですね。

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【2023年6月追記】
会議室101号室にあるカウンターです。大理石が貼ってあってゴージャス。昔はこの棟で結婚式をしていたそうなので、そのための設備だったのかもしれません。

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カウンターの横の仕切り。

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嵌っているガラスをよく見ると、セントラル硝子の「あさおり」でした。めったに見られない、貴重な型板ガラスです。


【あわせて読みたい】
岡山市民会館のかっこいい場所
岡山市民会館と山陽放送会館
山陽放送会館の階段にしびれた
ミッド昭和が息づく山陽放送会館
岡山市民会館の記録2




posted by pictist at 20:08| 都市鑑賞