
見本誌が届いたのでさっそく読んでますが、どのページにも「街で見たことあるもの」が載っていて、どのページにも今まで知らなかったことが書いてある。やっぱり面白い。
以下が目次です。カッコ内がその章の執筆者で、それ以外は三土さんの執筆となります(編集担当の磯部さんも「橋」を執筆)。
【街にあるもの】
配管
足場(小金井美和子)
玄関灯(内海慶一)
エアコン室外機(斎藤公輔)
ガスメーター
電気メーター
給水塔(小山祐之)
商店街
神社
路上園芸(村田あやこ)
残余地(島野翔)
【私たちを取り囲んでいるもの】
道路・歩道・通行帯
交差点
坂道
階段
歩道橋
踏切
高架橋脚(田村美葉)
見える地下(小金井美和子)
公園を観察する(石川初)
公園遊具
東屋(高橋英樹)
公園遊具
パーキングスケープ(八馬智)
駐車場
【街と街の間にあるもの】
川そのものと周辺のいろいろ
ダム(萩原雅紀)
田んぼ
畑
橋
トンネル
鉄塔(加賀谷奏子)
都市鑑賞とは何か(大山顕)
僕がこのシリーズをいいなと思うのは、「図鑑」を名乗りながら、専門家ではなく「鑑賞者」がメインで参加しているところ。各分野の「中の人」とか研究者に執筆を依頼するという選択肢もあるはずだけど、主に「それをずっと見ている人」が執筆しているのです。
鑑賞者側からの目線でつくられていることが、本書をユニークなものにしている。そしてあらためて驚くのは、それを成立させる各ジャンルの鑑賞者がいるということです。よく考えたらすごい。




ところで、本書の最終章に大山顕が「都市鑑賞とは何か」という文章を寄せています。とても大切なことを言ってると思うので、少し紹介します。
以下、僕なりにパラフレーズしてみました(パラフレーズって一回言ってみたかった)。大山さんはだいたいこんな感じのことを言ってます。
▼
よく「独自の視点」という言葉で、さもそのような「能力」が存在するかのような言い方をする人がいるが、そんなものはない。都市鑑賞者の「視点」は、見るという「行為」と一体なのであって、「視点」のみが先行して備わっているわけではない。
対象を見るという「行為」が、自己にフィードバックして「独自の視点」を得るということは、あるだろう。しかしそれは「見た」から得られたのだ。見るという「行為」が「視点」に影響を与え、影響を受けた「視点」が今度は「行為」に影響を与える。その往復こそが重要なのであって、二つを切り離して考えることは無意味だ。
▲
適切に要約・言い換えができているかどうか分からないけど、上記のような主張が核になっているはずです。たぶん。
また、大山さんは、「実行」こそが価値なのであり、見る「理由」なんてどうでもいいことなのだと言います。
次に、「都市鑑賞とは何か」から文章の一部をそのまま引用します。
《「独自」なんてくだらない。それは幻想だ。そんなものは必要がない。世界中の人が工場を団地を見て回るべきだと思う。鉄道趣味が素晴らしいのは、多くの人が参加しているからだ。》
《「アイディア」も「視点」も架空のもので、あったとしてもそれは誰かからの借り物だ。》
《動機やきっかけなど大したものではない。重要なのは鑑賞を続ける、ということだけだ。》
そう、見続けること。僕も「見続けた人だけが体験できる世界」があると思っています。『街角図鑑』に興味を持ったら、次はあなたもぜひ、何かをしつこく見続けてみてください。対象はなんでもいいんです。都市鑑賞って、面白いよ。
あ、正確に言うと「面白くなる」よ。見てるうちに。
『街角図鑑 街と境界編』
三土たつお 編
実業之日本社
四六判160ページ
2020年8月3日発売
本体価格 1700円+税
ISBN 978-4-408-33941-2