2020年03月28日

玄関灯「バルベット」の謎

【後段に2020.4.22追記あり】

玄関灯の鑑賞を始めてずいぶん経つのだが、長年の謎がある。玄関灯には「両面灯」というタイプがある。玄関扉の上部(欄間)に孔をあけ、そこに電球を付設する方式だ。

電球が剥き出しのパターンもあるが、多くの場合、カバーで覆われている。そのカバーは「バルベット」と呼ばれている。

現在、バルベットと言えば樹脂製の製品を指す。下の写真のようなものだ。

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しかしバルベットは樹脂製品が誕生する前からある。下の写真が古いタイプのバルベット。ガラスのカバーに青銅または真鍮のフレームがついている。

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バルベットは大正時代にはすでに存在していたようだ。『外灯工事仕様書』(大正15年、京都電灯株式会社編)という本に《両面「バルベット」ヲ使用スル門燈》という項目がある。

この、「バルベット」という名前の由来が分からない。どういう意味なのだろうか。

以前、樹脂製のバルベットを製造しているメーカー、株式会社栄興電器工業所に「バルベットの名称の由来」を聞いてみたことがある。とても丁寧なお答えをいただいたのだが、残念ながら名称の由来は分からないとのことだった。ちなみに栄興電器工業所の創業は昭和26年。

明治から大正にかけて電灯が一般家庭に普及していった時代、そのどこかの時点で、壁に孔をあけて両面を照らすという方式が考案され、その方式またはカバーがバルベットと呼ばれたのだろう(名称とともに海外から持ち込まれた可能性もあるが)。

一つの推測として、バーベット (barbette) =軍艦の砲座と関係があるのではないかと考えたことがあるのだが、どうも形状が結び付かない。

バルベットという名称が何に由来しているのか、もしご存じの方……は、いないと思いますが、なにか手がかりになる資料をご存じの方がおられましたら、ぜひ教えてください。



バルベットに関しては、もう一つ気になっていることがある。バルベットは東京都内にはあまり普及しなかったのではないか? という疑いだ。

私が住んでいる岡山市内では、そこらを歩けばいくらでも上掲のバルベットを見つけることができる。樹脂製、ガラス製(銅フレーム)、両方ともある。

また、ネットで古い家屋や長屋などの写真を検索すると、他のまちにもバルベット付きの家があることが分かる。しかしその所在地を確認すると、ほとんどが西日本エリアのものなのだ。これは偶然だろうか。

以前、友人がGoogleストリートビューで都内のバルベットを3軒ほど見つけてくれたのだが、今のところそれだけである。また、その見つけたバルベットも樹脂製で、古いタイプのガラス製(銅フレーム)バルベットは見つかっていない。

単に調査が足りないだけで、実際にはある程度、都内にも存在しているのだろうか?

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もし都内でガラス製(銅フレーム)バルベットを発見したら、ぜひ教えてください。関東エリア全域でも構いません。

※ちなみにバルベットは玄関灯だけではなく屋内トイレにも付設されるケースがあります。

下の画像は黒澤明『生きる』のワンシーン。主人公が住んでいる住宅の玄関だが、両面灯になってはいるものの、電球が剥き出しでバルベットは付いていない。もしこの家屋がセットだとしても、現実に即してつくるだろうから、東京の一般住宅は「バルベットなし」をスタンダードとしてきたのではないだろうか。

はたして、どうだろう。

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ーーー【2020.4.22追記】ーーー

後日、ツイッターで情報を呼びかけたところ、石川初さんより下記の情報をいただきました。かつては都内でもよく見かけたとのこと。地方にはまだまだ残ってるけど、東京は新陳代謝が激しいので失われつつあるんですかね。



また、ukikusaさんからは都内の一軒家のトイレに設置されている事例をいただきました。戦後すぐに建てられたお宅だそうだです。



トイレの事例は私も一件、撮影してまして。こちらは昭和初期に建てられた家です。

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男性用小便器がある空間と、大の個室を隔てる壁に付けられています。

さらに!
バルベットの名称について、Chill Reactorさんから下記の推測をいただきました。



私は甲板上の砲座を考えていて、形状が結び付かないのでそこで思考が止まってたんですが、なるほど舷側砲と解釈すると、ありえそうですね。

しかもリンク先の写真にあるような「円筒形の装甲」を指すとのことなので、かなり有力だと思います。古い玄関灯バルベットには平たい角型とかまぼこ型のものがありますが、Chill Reactorさんがおっしゃるように、かまぼこ型が最初のかたちで、その形状からバルベットと名付けられたのかもしれません。

古いバルベットの写真は他にもいくつか撮ってるので、そのうちこのブログで公開しようと思います。フレームのデザインがいろいろあって楽しいよ。





posted by pictist at 12:37| 都市鑑賞

2020年03月07日

忘れられた岡山の「みゆき通り」

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超・岡山ローカルな話です。

岡山市の中心部に「御幸通(みゆきどおり)」と名付けられた道があるのだが、この呼び名はまったく定着していない。「岡山 御幸通」「岡山 御幸」などのワードでネット検索しても、他の情報がヒットするばかりで、みごとになにも出てこない。完全に忘れ去られている名前なのだ。

御幸通(以下、「御幸通り」と記す)」は明治時代に命名され、昭和時代には由来記念碑までつくられている。碑は今も西川緑道沿いに建っている。にも関わらず現在、岡山市民の多くは、この通りに名前があることを知らない。

御幸通りは岡山市街地を貫いている。西川に架かる「田町橋」をはさんで東西に走る道が御幸通りだ。

岡山市中心部を東西に走る道と言えば、幹線道路の他に思い浮かぶのは「後楽園通り」「桃太カ通り」「県庁通り」「あくら通り」くらいだろう。

それもそのはず、岡山市では「愛称命名道路」というものが定められているのだが、その中に「御幸通り」は入っていない。昭和59年度、平成7年度、平成17年度と3度にわたって道路愛称が定められたが、結局最後まで「御幸通り」は入らなかった。100年以上の歴史を持ち、記念碑まであるにも関わらず。

>>岡山市|道路愛称について

「御幸通り」「みゆき通り」という名前の道は全国にいくつもある。いちばん有名なのは銀座みゆき通りだろう。1960年代にはここから「みゆき族」という流行語も生まれた。

西川緑道沿い、田町橋のそばに建つ記念碑の裏側に、こんな碑文が刻まれている。

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碑文を書き起こしてみた。読みやすいように適宜改行し、句読点もつけた。

明治四十三年、陸軍特別大演習は岡山市を中心として吉備平野に挙げさせ給ふ。

陛下には十一月十二日、岡山市に行幸、後楽園大本営に入らせらる。

十一月十七日、岡山練兵場に於て観兵式を挙げられ、式後、下石井煙草専賣局用地にて大宴会開かる。

陛下には大本営御出門、上之町より二十二銀行前を新西大寺町に、ここより右折して新道通に出でさせ給ふ。

この行幸を記念して、地元各位の秦仕用地の寄付等の協力により御幸通完成さる。

昭和四十五年五月一日 岡本巍

この碑文は、ちょっとややこしい。まるで岡本巍という人物が昭和45年に記したかのように読める。

しかしおそらくそうではない。この古めかしい文章が昭和45年に書かれたとは考えにくい。そして岡本巍(おかもと たかし)という名前を調べると、やはり明治〜大正期の人物であることが分かる。

岡本巍は岡山市の教育者で1850年(嘉永3年)生まれ、1920年(大正9年)没。実業家でもあり、また県会議員も務めたらしい。

この碑文はなぜか、岡本巍が(おそらく明治時代に)記した由来文を、昭和45年という年(おそらくこの碑を建てた年)と並べて刻んでいるのだ。

碑文の謎はおいておくとして、ここに書かれている内容を図示すると以下のようになる。これは明治44年(上記行幸の翌年)に発行された岡山市街地図だ(赤ラインは筆者による)。

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【岡山市明細地図 明治44年】デジタル岡山大百科 | 郷土情報ネットワーク

画像の外、右上部に「上之町」がある。この縦の点線は現在の表町商店街だ。南下してきて、「二十二銀行」(現存せず)を右折。現在の新西大寺町商店街から田町へ抜けて、田町橋、柳町、そしてイトーヨーカドー跡地へ続く。この東西の点線が御幸通りになる。

文中の「下石井煙草専賣局用地」というのが地図上の「大蔵省敷地」、現在のイトーヨーカドー&ジョイポリス跡地だ。ちなみに西川の東に流れているもう一本の水路は、現在の柳川筋である。

現在のマップ上にラインを引いてみた(新西大寺町商店街は省いた)。




この忘れられた御幸通りを、あらためてみんなで認識できたらいいな、と思っている。名前じたいはなんでもいいのだが、「みんなが道の名前を知っている」というのが大事なポイントだ。

道に名前があると、とても便利だ。場所を説明しやすい。これは、単に御幸通り沿いにある建物を説明しやすいだけではない。御幸通りという東西のラインをお互いが認識していれば、そのラインを補助線にして街がさらにつかみやすくなるのだ。

南北の市役所筋、西川、柳川筋。東西の後楽園通り、桃太郎通り、県庁通り、あくら通り。これに御幸通りが加われば、岡山駅東エリアの街区が、今以上に分かりやすくなるだろう。

銀座と同じように、表記はひらがなで「みゆき通り」としてはどうだろうか。近県では兵庫県姫路市にも「みゆき通り商店街」がある。こちらも、もともとは明治時代に「御幸通」と命名されたが、現在では「みゆき通り」と表記されている。

新たに命名するのではなく、もともとある名前を「思い出す」だけなのだから、それほど難しいことではないと思う。

余談ですが、岡山みゆき通り沿いにある「銀河」という韓国料理店がうまかったです。サムギョプサル最高。

※岡山市中区に御幸町(みゆきちょう)があるが、これは御幸通りとは直接的な関係はないと思われる。

※過日、みゆき通り沿いにあるオーダー紳士服店「テーラー ロンドン」店主の米林さんにお話を伺った。当地で育った米林さんは当然、みゆき通りの名前をご存じだったが、「私(1952年生まれ)より下の年代の方はほとんど使わないですね」とおっしゃっていた。





タグ:都市鑑賞
posted by pictist at 22:29| 都市鑑賞

2020年03月02日

ミッド昭和が息づく山陽放送会館

前回の続きです。

こちらはロビーの様子。

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ミッド昭和感。

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ミッド昭和感。

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ミッド昭和感!

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よき曲面。

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天井。

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壁のスリットが気になって近づいてみると・・・

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溝部分に黒いネットが張られていました。これ、もしかしてスピーカーから発想したのかな。放送局ということで。どうだろう。

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エレベーターのランプが謎でした。これは外側のランプです。

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満員??
このランプはどんなときに光るのか。中に「満員ボタン」があるのかな?と思って見てみたんですが、改装されてボタンが新しくなってて分かりませんでした。

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さらに謎な「休止」。
デフォルトで休止ランプを設置しなければならないほど、エレベーターの稼働をしょっちゅう止めていたのでしょうか。

勤めている中の人も、僕に聞かれるまで気にしたことがなかったそうで。どういう意味のランプなのか分からないとのことでした。後日、他の社員さんにも聞いてもらったのですが、このランプの意味を知る人はいなかったとのこと。この「満員」「休止」表示の謎、もしご存じの方がいたら教えてください。

※後日、ツイッターで教えてもらいました。「満員」ランプは「満員通過機能」というもののようです。「休止」はメンテナンスなどの際に点くらしい。1962年当時は頻繁にメンテナンスが必要だったのかもしれませんね。

こちらは館内で見たいろいろな「文字」。コンピューターフォントではない手づくりの文字は、今となっては貴重です。

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消火栓。これって機械彫刻用標準書体ですかね?

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木製のドアとガラスが、いかにもミッド昭和。

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これはスタジオにあった椅子。ほしい。

RSKは2021年に本社を移転する予定ですが、この山陽放送会館も当面は続けて使用するそうです。

以上です。見学に誘ってくださったRSKのSさん、ありがとうございました!





posted by pictist at 00:35| 都市鑑賞

2020年03月01日

山陽放送会館の階段にしびれた

以前、「山陽放送会館の中が見たいなー」って書いたんですが、なんと中の人から見学のお誘いをいただきました! わーい。

RSK山陽放送会館(岡山市)は1962年(昭和37年)竣工。設計は佐藤武夫。建築音響学の先駆者と言われている人です。

今回、建物の中をあちこち見せてもらったんですが、いちばん印象に残ったのが、廊下の真ん中に突然現れるこの階段。

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こんな階段の位置、ある? いや、ないことはないんだろうけど。珍しくないですか。この唐突感にしびれました。

階段をあがって上から見ると、こう。

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もう一つ、別の場所の階段もご覧ください。

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なんかすごいゴージャスですよね。赤、黒、金で。どこへいざなわれるんだろうっていう。

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そして手すりの白ラインがびしっと空間を引き締める。

で、これだけじゃないんです。さらに別の階段があって、それがまた見ごたえあった。写真で伝わるかなあ。

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分かりますかね。どうなってるか。

建物の中に、西エリアと東エリアがあると思ってください。その中間にこの階段棟があると思ってください。たとえば「2階・西エリア」から「3階・東エリア」へ行きたい場合は、まっすぐ階段を登っていけばOK。

「2階・西エリア」から「3階・西エリア」へ行きたい場合は、途中の踊り場でくるっとUターンして、隣りのラインの階段を登ります。

という構造の階段が、2階から4階まで続いているのです。

踊り場のそばの壁にこんなものがありました。

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防火シャッターの昇降装置のようです。真鍮の鈍い経年光沢がいいですね。こうした真鍮製のものも、だんだん身のまわりからなくなりつつあります。

次回はロビーの様子、照明器具、建物内で見た文字などをご紹介します。





posted by pictist at 01:47| 都市鑑賞