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ちょっと曲がった道
ちょっと曲がった道が好きだ。その一条が緩やかな弧を描き、遠くで「向こう」へ吸い込まれるようにスッと消える。そんな風景に惹かれる。
ちょっと曲がった道に立つとき「向こう」の景色は隠れている。それは、一歩ごとに現れる。現れ続ける。
ちょっと曲がった道が描く曲線は、視線を誘導する。右へ、あるいは左へ。その先の景色へ人をいざなう。
まっすぐな道や丁字路からはそのような興趣は得られない。まっすぐな道には隠しごとがなく、丁字路には移ろいがない。ちょっと曲がった道は、歩調に合わせて次々に新しい貌を見せ、同時に、ずっと仮面を被っている。
理想的なちょっと曲がった道の条件は次のようなものだ。両側に建物がぎっしり連なっている。道幅はあまり広くない。そして、ある程度の距離を有している。
両側に建物が並んでいると道筋が強調されるため、「向こう」とこちら側の繋がりがくっきりする。また、視野が適度に制限されるため、目の前の風景に没入しやすい。
ちょっと曲がった道はほとんどの場合、数十秒も歩けば視界が開ける。なるべく長く続いてほしいと願うが、やはりすぐに終わってしまう。そのとき私は、「向こう」へ憧れながらずっとここを歩いていたいという、背反した願望を自覚する。
萩原朔太郎の「坂」という散文詩がある。朔太郎は坂道を好んだ。
「坂のある風景は、ふしぎに浪漫的で、のすたるぢやの感じをあたへるものだ。(中略)我我は、坂を登ることによつて、それの眼界にひらけるであらう所の、別の地平線に属する世界を想像し、未知のものへの浪漫的なあこがれを呼び起す。」
萩原朔太郎「坂」
私は坂道に対してはこのような情感を持たないが、ここには、ちょっと曲がった道と共通の感覚があるように思う。「別の地平線に属する世界を想像」できるのは、風景が隠されているからだ。その点で坂道とちょっと曲がった道は同じ性質を持つだろう。ちょっと曲がった道は、水平に横たわる坂道なのかもしれない。
ちょっと曲がった道の多くは、計画されて生まれたものではない。その道筋は矯正から逃れ、支配から逃れ、永年ありのままの曲線を保っている。だからどこか自由で、かつ、強靭な印象を受ける。
ちょっと曲がった道を歩きながら、彼方を思う。草を踏み分けて往き交う人々の姿が、アスファルトに重なって消える。
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『せとうちスタイル』Vol.4
112ページ
瀬戸内人
2018年1月25日発売
ISBN-13: 978-4908875205