2016年02月11日

『ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市』

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『ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市』
東浩紀・大山顕 共著
幻冬舎新書(幻冬舎)
2016年1月29日発行

東浩紀さんと大山顕さんの共著『ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市』が刊行されました。まえがきに僕の名前が出てくるから宣伝します……というわけではなく、めちゃくちゃ面白いからみんなに読んでほしいのです。

まだ僕も途中までしか読んでないけど、面白いことはすでに分かってまして。なぜならこの本は、過去4回にわたる東さんと大山さん(ゲスト・石川初さん)の対談の内容をまとめたものであり、僕はその対談をすべてニコ生で視聴済みだからです(現場に行けない地方在住者のつらさ)。

タイトルだけだと内容が分かりづらいかもしれませんね。ショッピングモールの話がそんなに面白いの? 商業施設うんぬんって興味ないし……と思ったあなた、ちょっと待ってくれ。この本には、たとえばこんな話が出てきます。



・セイタカアワダチソウは社会制度の隙間に生えている。

・ぼくたちはいつのまにか、「シェアできない写真は撮る価値がない」と思うようになっている。

・昭和40年代くらいまでは、飲み会のあと家に同僚をつれてくることは不自然な行動ではなかった。今はそんなことしない。なぜか。

・欧米の住所は通りを基準にしたストリートシステム。日本の住所は番地を基準にした田んぼシステム。京都だけが例外。東京も江戸時代はストリートシステムだった。

・デス・スターがかっこいいのは、外観がバックヤードだから。

・人間は芝生を植え、刈ることで芝生を支配していると思い込んでいるけど、実は逆。芝生は人間を利用して自分たちの勢力範囲をどんどん広げている。

・ファミレスからファミリーがいなくなった。

・ディズニーワールドではすべてのパークの入口に星条旗が掲げられている。なぜアメリカでは、ポップカルチャーがかくも屈託なくナショナリズムを担うことができるのか。

・かつて建築には必ず表と裏が定められていたが、ショッピングモールにはそれがない。いわば、外側はすべて裏で、内部こそが表。

・世界中のモールは同じ文法でつくられている。初めて行った人間でも何がどこにあるか直感的に分かる。そしてモールの中ではみんな同じふるまいをする。人種も宗教も政治体制も越えてしまっている。

・日本のディズニーランドの「ジャングルクルーズ」のジャングルに植えられている植物はビワ。

・吹き抜けがあるのがモールで、ないのが百貨店。



ね、こういう話そそられませんか? それとも、よけいにわけが分からなくなった? 本人たちもこの対談を「放談」と言ってますが、これは論理と検証を積み重ねるようなカタコリ型の対談ではありません。脇道と本筋を行ったり来たりするうちに様々なアイデアが生まれ、彼ら自身も予想しなかった場所へ到達してしまうという、好奇心をぐりぐり刺激する対談エンターテイメントなのです。

合言葉は、ノー・エビデンス(根拠なし)!

とはいえ、ちゃんと概要説明もしておかなくてはならないと思うので、東さんによる本書のあとがきから一部を引用します。これが端的に本書の意義を伝えていると思います。

ショッピングモールについて考えることは、現代人の都市空間や公共空間への欲望そのものについて考えることに直結している。にも関わらず、ショッピングモールは知的な議論や観察の対象になってこなかった。ショッピングモールといえば軽薄で安価な「大衆消費」の象徴で、地元商店街が善で大規模商業施設は悪で、「まとも」な都市論や建築批評は商店街の側に立つものという図式が、数年前までほぼ自明視されていた。しかしそれは、あまりにも視野が狭い見方ではなかろうか。百歩譲って、ショッピングセンターの乱立が社会を荒廃させるのだとしても、それならばなぜ人々はその「荒廃」を求めるのか、と問う必要がある。


タイトルが示す通り、本書で取り上げられる話題はショッピングモール「から」始まってさまざまな方向に飛んでいきます。好奇心の海をクルーズしているような気分。どこへつれていかれるか分からない、スリリングな知的クルーズです。



ところで大山さんによる本書のまえがきに僕の言葉(ツイート)が引用されているのですが、それはこういうものです。「ディズニーランドが『アメリカのニセモノ』として存在し続けることで、遡行して『アメリカを本物にしたいから』なのではないか」

これは質問コーナーでマイクを持った石川初さんの「ディズニーランドはギリギリのところで本物にならないようにしている。本物になれないのではなく、あえて本物にならない屈折がある」という主旨の発言を聞いて、思いついてツイートしたのでした。

実はこれには元ネタがあって、ボードリヤールの『シミュラークルとシミュレーション』の中に「ディズニーランドは、アメリカすべてがディズニーランドなんだということを隠すために、そこにある」というくだりがあるんです。これが昔からずっと頭に残ってて、ふと結びついたというわけ。

『シミュラークルとシミュレーション』、面白いですよ。他にも「ディズニーランドの幻想は真でも偽でもない」とか、「オリジナルと似通った世界に我々は生きている」とか、ぐっとくるワードがたくさん出てきます。僕はずっと「本物とニセモノ」についてライフワーク的に考え続けているので、これもそういった興味からつながったものです。



本書を読んでいて、またハッと思いついたことがありまして。第3章で「ディズニーワールドには偽物のバックヤードを見せるアトラクションがある」という話が出てくるんですね。たとえばアニマルキングダムには、園内のサファリとは別に、そのサファリの裏側を見られるという設定のアトラクションがある。これが明らかにウソで、バックヤードも偽物であると。

「バックヤードがあることを伝える」というのは、つまり「このサファリは人工的に管理されてるんですよ」ってわざわざ表明しているということですよね。「サファリって言ってますけど、ここは本当のアフリカ大陸じゃないんです」と明かしてる(もちろんアフリカだと思ってる人はいないだろうけど)。これもまた、石川さんが指摘した「あえて本物になろうとしない屈折した態度」のように思えました。

もちろんノー・エビデンス! です。

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posted by pictist at 00:00| レビュー