
「この人にしか書けなかっただろうな」と思わせてくれる本に出会うとうれしくなる。もちろんどんな本だってその著者によってしか書けなかったものだろうけど、しかし明確にそう思わせてくれる本がときどきある。
その人が書かなければならなかった本。その本がまるで、「書かれたこと」に喜んでいるかのような本。『文字の食卓』(正木香子/本の雑誌社)はまさしくそういう本だ。
本書は、消えつつある「写植書体」を著者の読書体験とともに紹介するエッセイである。
あなたは「書体」というものを意識して本を読んだことがあるだろうか。私は仕事柄、多少は書体に敏感だ。しかし読書をする際に書体を気にしたことはほとんどない。
先週読んだ小説の書体と、今日読んだ小説の書体の違いなど考えたことがない。ましてや子供の頃に読んだ本の書体など憶えているはずもない。ほとんどの人はそうだろう。
ところが著者の正木さんは、絶対音感ならぬ絶対書体感とでも言うべき才能を持っているらしい。まずそこが面白い。
この書体に出会ったのがいつかときかれたら、絶対的な自信をもって答えられる。
それは十歳のとき、こんな本だった。
(氷彫刻の文字)
夏休みの読書感想文で読まされる「課題図書」は、どういうわけかたいていこの書体でかかれていた。
(花の文字)
〈石井太丸ゴシック〉は、私が毎週金曜日の夜を心待ちにしていた当時、テレビ番組のテロップでよくつかわれていた書体だ。
(こんぺいとうの文字)
私にはこんな能力は備わっていない。著者の「さまざまな書体との出会い」には共感することができない。しかし、だから、わくわくしてしまう。この人の目に映っている世界が知りたい、と思う。
「声」としかいいあらわせない、深夜のラジオみたいな親しい空気が文字から伝わってくる。
(夜食の文字)
匂やかで、みずみずしくて、どこかいろっぽい文字。それは鮮やかに割れた果肉を想像させる。
(果実の文字)
ガス入りの冷たいお水みたいに、文字のひとつひとつが、かすかに発砲しているような感じ。
(微炭酸の文字)
この文字は、白い。
(ヨーグルトの文字)
この文字でかかれた言葉は、かすかに甘い、半透明の膜でコーティングされているみたいに感じるのだ。
(こんぺいとうの文字)
書体から、色彩や音や匂いや味わいを感じる。なんてすてきな感覚なのだろうと思う。そしてその感覚は、決してこの著者の中だけにあるものではない。掲載されているそれぞれの書体を見ながら読むと、「言われてみれば確かにそうだ」と思えるのだ。
私たちがその書体を見たときに漠然と抱く感情、意識にのぼる前に蒸発してしまう印象を、見事に言語化している。今までそんなこと考えたこともないのに、「果実のような文字」と言われた瞬間、「自分はそれを前から知っていた」とさえ思ってしまう。
それらを味わうだけでも十分に楽しいのだが、この本にはもう一つの魅力がある。
子供時代、夢中で本を読んでいた頃の、あの特別な感情を思い起こさせてくれるのだ。心地よい孤独感と、陶酔。本というものへの絶対的な信頼。大人になるにつれて(私の場合は)薄れていったあの感覚を、本書は何度も心に蘇らせてくれた。
著者は二章目の「チューインガムの文字」の中でこう書いている。
〈石井細明朝ニュースタイル〉は、一人称がとてもよく似合うと思う。
どうしてだろう。
この文字でかかれた「わたし」が、なにかに同化しているような印象を受けるからかもしれない。忘れかけていたあの本を、夢中で読んでいたころの遠い記憶に。そこに描かれていた人生や物語に。そのときの自分に。
私はこの本を、あの頃の自分と一緒に読んでいたような気がする。
読み終えるのがもったいなくて、でも我慢できなくて、あっというまに、ぺろっと読んでしまった。
正木さん、ごちそうさまでした。
『文字の食卓』
正木香子
出版社:本の雑誌社
発売日: 2013/10/24
ページ数:256ページ
ISBN-13:978-4860112479
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版元の紹介ページ
http://www.webdoku.jp/kanko/page/4860112474.html著者インタビューも読めます。
posted by pictist at 08:43|
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