2026年06月07日

岡山観光ネット「京橋から旭川沿いを鑑賞ウォーク編」編

おかやま観光コンベンション協会「岡山観光ネット」さんに協力している町歩きシリーズの第4弾が公開されました。今回は京橋から相生(あいおい)橋まで。

普通に歩いたら10分もかからない距離なんですが、終わってみると2時間以上経ってました。

>>都市鑑賞者・内海慶一さんと行く町歩き〜京橋から旭川沿いを鑑賞ウォーク編〜

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このシリーズは毎回、ネット上には載っていない情報を1つ以上、紹介することを心がけています。今回の記事で言うと、相生橋が1951年(昭和26年)に継ぎ足しされた話などは検索してもまったく出てこないと思います。相生橋は1937年(昭和12年)の竣工当初、今より65メートルほど短かったのです。

以下にサブテキストとして、あまり知られていない相生橋と龍見橋の歴史についてご紹介します。また、消滅した中洲「荒手」についてもご説明します。

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「岡山市政だより 55」(1951年9月)より。相生橋の継ぎ足し工事完成を紹介する記事。

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この写真は東詰から西を向いたところ。いちばん右に写っている橋脚が、継ぎ足し時に建造されたものです(※1)。

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この新橋脚にだけ謎の四角い窪みが並んでるんですが、おそらく水位標がわりの目安だと思います。一つの四角が20cmなので、3つの長さが1メートル。1メートルごとにラインをずらして分かりやすくしてるようです。

ちなみに横にウィングを広げて桁を支えているコンクリートは、1985年(昭和60年)に歩道を増築した際のもの。現在の相生橋は、言わば「つぎはぎの橋」なんです。

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こちらは川の中に立つ古いほうの橋脚。向こうに新堰が見えています。

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左が東詰

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右が西詰

観光ネットの記事でも言及していますが、昔は相生橋の東の続きに龍見橋という橋がありました。

内田百閧フ随筆「荒手」にはこのように書かれています。

《から川の向うが荒手の藪である。後になつて荒手の藪の真中から向う岸へ相生橋が架かつたが、相生橋の外にもう一つ荒手の東側から古京の西裏へ、そのから川を跨がつて架かつた龍見橋がある。龍見橋はいつ頃出来たか思ひ出せないけれど、あやふやな記憶の中の順序では相生橋よりも前からあつたのではないかと云ふ気がする。》

荒手というのは現在はもうなくなっている土地で、荒手茶寮(後述)がもともと営業していた場所です。古京(ふるぎょう/旭川の東)から荒手へ龍見橋が架かり、荒手から西へ相生橋が架かっていたわけです。「から川」というのは普段は水が流れていない川。

初代の相生橋は1904年(明治37年)に竣工しました。龍見橋の竣工年は分かっていませんが、百閧ェ《私の子供の時の記憶が出来てから後に架かった》と書いているので、明治時代中期を過ぎてからだと思います。

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この画像は『岡山県鳥瞰図』(1930年/昭和5年)の一部。名前は書かれてませんが、相生橋の続き(右)にもう一つ橋が架かっているのが見えます。これが龍見橋です。

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1906年(明治39年)の「岡山市明細地図」より。百閧ェ旧制中学校に通っていた頃の岡山です。

江戸時代、荒手には三猿斎(さんえんさい)の号で知られる岡山藩の家老、伊木忠澄の下屋敷(荒手屋敷)がありました。維新後、1884年(明治17年)より旧藩主である池田家の所有となり、その後、坂本金弥(実業家・政治家)の所有となります。

荒手屋敷には広い庭園があり、「相生の松」と呼ばれる立派なクロマツの木がありました。相生橋の名はこの松に因んだものと言われています。

百閧フ記憶によると、荒手屋敷は一時的に六高(旧制第六高等学校)の寄宿舎になっていたこともあるそうです。その後、大正から昭和初期には荒手にテニスコートがあった時期もあります。

1933年(昭和8年)に荒手屋敷は「荒手茶寮」という料亭になりますが、翌1934年(昭和9年)の室戸台風で被害を受け、営業停止を余儀なくされたようです。

そして1938年(昭和13年)、荒手屋敷は旭川改修工事に伴い取り壊されました。ただ、屋敷の一部である万竹堂や菊の間、扇の間、建具や茶道具、庭園の石灯籠などは売りに出されたため、各地に散逸しました。万竹堂は京都に移築されたそうです。また、扇の間は大原孫三郎が購入し、これも京都の別邸に移築したそうです。

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在りし日の荒手屋敷・万竹堂(1938年/昭和13年撮影) 『岡山市史 政治編』より

荒手屋敷にあった長屋門は現在、東京都世田谷区に残されており、世田谷区指定有形文化財になっています。
>>世田谷区|武家屋敷門

料亭「荒手茶寮」は現在、岡山後楽園のそばで営業しています。この建物は戦後に再建されたものですが、1938年(昭和13年)に建設して1945年(昭和20年)の戦災でなくなった「戦前の荒手茶寮」の建物が、はたして荒手屋敷から移築したものだったのかどうかは分かりません。

移築したのであれば上記の京都の例のように当時の記録が残っているはずですが、今のところ見つかりません。また、1940年(昭和15年)の資料には、荒手茶寮が後楽園に「移転新築」したものであると書かれています。

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岡山県立記録資料館所蔵/資料番号E00006-000574

大正時代の相生橋。この頃は木橋です。向こう岸が荒手で、写真には写っていませんが、その向こうに龍見橋があったはずです。
手前に相生橋水位観測所がありますね。

1937年(昭和12年)に現在の相生橋(ゲルバー式鋼板桁橋)が完成します。

ここで相生橋の歴史を整理しましょう。木橋時代の相生橋は何回か流失して再建されています。

【相生橋と龍見橋の歩み】
※複数の資料から情報を得て一つにまとめたものです

不明年(明治中期以降)/龍見橋(初代)竣工

1904年(明治37年)4月/相生橋(初代)竣工

1913年(大正2年)3月/龍見橋を架替竣工(2代目)

1914年(大正3年)4月/相生橋を架替竣工(2代目)

1928(昭和3年)6月/相生橋が豪雨により流失

不明年/相生橋(3代目)竣工

1934年(昭和9年)9月/室戸台風により相生橋が流失、工兵隊が仮設橋(4代目)を架設

1936年(昭和11年)7月/相生橋を新設起工(5代目)
※これが現在の相生橋

1937年(昭和12年)7月/相生橋が豪雨により流失
※5代目相生橋(鉄筋コンクリート橋)がこのとき建設中なので、流失したのは4代目の仮橋。

1937年(昭和12年)11月/5代目相生橋(現在の相生橋)竣工、渡り初め式

※現在の5代目相生橋竣工後、旭川左岸の川幅の拡張工事がおこなわれた際、相生橋の延伸が検討されたが、資材の制約のため木橋による継ぎ足しを施すにとどまった。つまりこの時点以降、相生橋は鉄筋コンクリート橋と木橋(旧龍見橋の部分を含む)の接合でできていた。

1951年(昭和26年)8月/相生橋の継ぎ足し工事竣工
※木橋の部分を撤去し、鉄筋コンクリート橋を延伸した(約65m)

1985年(昭和60年)/歩道(側道橋)を増築
※銘板によると北側は3月、南側12月に竣工

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相生橋の竣工当時の写真(1937年/昭和12年)。当時は親柱の上に照明があったことが分かります。

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現在の様子。親柱は岡山産の花崗岩、万成石(まんなりいし)でできています。

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1985年(昭和60年)に歩道が増築されました。

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歩道と車道の間には、おそらく竣工時のものであろう万成石の縁石が残っています。

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これは東詰の桁なんですが、塗り直しの時期が異なるため新旧がはっきり分かります。継ぎ足された新しいほう(右側)が古く見えているのが面白い。

ただ不思議なのは、前述のように橋桁のサイド面、外側は増築された歩道なので、どれも同時期につくられたはずなんですよね。奧にあるもともとの橋桁の竣工時期に塗装のタイミングを合わせてるんでしょうか。

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これは東詰の親柱。1985年(昭和60年)の歩道改築後に埋められたプレートに、なぜか「昭和13年竣工」と書かれています。現在の相生橋は昭和12年11月に竣工して渡り初め式が行われているので、13年と書くのは無理があると思うのですが。謎です。

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相生橋は延伸部や歩道が段階的に追加されてできた「つぎはぎの橋」です。竣工当時の姿がそのまま残っていないことをマイナスに捉える見方もあるかもしれませんが、私はこの「歴史の積層」こそが面白いと思っています。
それは、都市の姿そのものです。

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ちなみに相生橋の東詰にある岡山県庁分庁舎(旧三光荘)の1階には内田百閭Rーナーがあるので、相生橋まで行ったらついでにご覧になってみてください。江國滋がつくった百閭<c梶[岡山マップも展示されています。

あと旧三光荘の外階段には、どう思っていいのか分からないコンクリートの梁があるので、これもぜひ見て帰ってください。

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【参考文献】
「岡山市明細地図」(1906年)
『山陽年鑑別冊 岡山縣七十年史』(山陽新報社、1936年)
『汎岡山 第十二巻 第十二号』(汎岡山社、1937年)
『相生橋掛替写真』(小西昭光、1937年)
『昭和十二年七月十五日、十六日 豪雨洪水調査報告』(岡山県測候所、1937年)
『岡山市史 第六』(1938年)
『庭園 第二十巻 第十二号』(日本庭園協会、1938年)
『合同年鑑別冊 吉備二千六百年史』(合同新聞社、1939年)
『岡山市制だより 55』(1951年)
『岡山市史 政治編』(1964年)
『たらちをの記』(内田百閨^六興出版、1981年)
『大原孫三郎伝』(大原孫三郎伝刊行会、1983年)
『岡山市会史 第3巻』(岡山市議会、1987年)
『岡山市百年史』(1991年)
文中(※1)は岡山市都市整備局道路部道路港湾管理課の回答による


【あわせて読みたい】
岡山市の公式観光情報サイトに協力しました
五番町川と新柳川
岡山観光ネット「表町商店街の看板」編
岡山観光ネット「表町商店街のレガシー(街角遺産)」編

posted by pictist at 10:14| 都市鑑賞

2026年05月03日

型板ガラス「よぞら」の製造年

型板ガラス「よぞら」の製造年を「1988年」としているウェブページがいくつかあり、検索をするとその情報がサジェストされて出てくるのですが、これは間違いです。産業技術史資料データベースによると「よぞら」の製造年は1973年です。

たとえば下記の画像は1976年に刊行された『商品大辞典 [全面改訂版] 』(東洋経済新報社)の1ページですが、旭硝子の商品「よぞら」がしっかり掲載されています。産業技術史資料データベースの情報を裏付けるものです。

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私は型板ガラスの歴史を記述したいわけではなく、ただ「鑑賞」がしたいだけなんですが、やはり気になるのでここに記しておきます。ウェブ検索に反映されますように。

ちなみに産業技術史資料データベースの情報にも間違いはあるので(型板ガラス「クローバ」が「クローバー」になっているなど)、どんな情報も、複数の資料で裏付ける必要があると思います。

posted by pictist at 21:22| 都市鑑賞

2026年04月02日

旧西川橋交番の記録

2024年に廃止された岡山中央警察署西川橋交番(旧岡山東警察署西川橋派出所/岡山市北区平和町)が、市から一般社団法人に無償譲渡されたとのニュースが流れてきました。今後、まちづくりの活動拠点として活用されるそうです。

旧西川橋交番については以前、「岡山の継承物件」という記事で紹介しましたが、廃止後に交番の中を見る機会があったので、そのときの写真を併せてここに紹介しておきます。

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現役時代の旧西川橋交番

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冬になると浮かれ電飾をまとっていました。

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以前も紹介した外壁の飾り。旧岡山東警察署庁舎に使われていた花崗岩を再利用したものです。

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で、少し前に中を見学したんですが、入口近くにこんな意匠がほどこされてたんです。

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これたぶん、外壁の花崗岩と同じで旧岡山東警察署庁舎に使われていたものなんじゃないでしょうか。いかにも古そうなので。

以前見た資料には外壁の飾りのことしか書かれてなかったのですが、きっとこれも継承物だと思います。

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反対側には受賞プレートが。

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玄関灯

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二階の天井

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二階の窓から見た西川緑道公園

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裏窓の面格子

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裏の外壁がわざわざ階段状にしてあります。この交番は三角屋根のユニークさがよく取り上げられていましたが、ここもちょっとした鑑賞ポイントだと思います。

あと、水路側に少しせり出しているところもいいですね。

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西川橋つながりで、ついでにこれも載せておきます。

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に志かハは(し)

旧西川橋の親柱。桃太郎大通りを渡った反対側に噴水がありますが、その向こう側にあります。

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いつ頃つくられたものなのか分からないのですが、岡長平の『ぼっこう横町』に、西川橋のあたりが「ひらけた=賑わうようになった」のは1914年(大正3年)頃からとあるので、その前後くらいのものかもしれません。意匠的にもなんとなく。

posted by pictist at 23:26| 都市鑑賞

2026年03月22日

さよなら旭公民館

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岡山市北区広瀬町の旭公民館が2026年2月をもって閉館し、蕃山町の岡山中央公民館に新築移転しました。

旭公民館については以前も記事にしましたが(2021年)、未掲載の写真も含め、あらためてここに記録を残しておきます。

江戸時代、この場所は岡山藩の屋敷地でした。幕末には三猿斎(さんえんさい)の号で知られる家老、伊木忠澄(長門)の下屋敷(別邸)がありました。

三猿斎の下屋敷としてよく知られているのは古京町にあった荒手茶寮ですが、そのほか小橋町などにもあり、当地もその一つでした。

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「備前岡山地理家宅一枚図」より。左が北。中央のオレンジ色「伊木長門下屋敷」の上半分が旭公民館にあたる場所。右側、ピンク色の箇所に瑞雲寺と浄覚寺が見える。

1907年(明治40年)、岡山に陸軍第17師団が設置され、この場所に師団長官舎がつくられます。その後、1945年(昭和20年)まで陸軍の官舎として使用されました。

戦後は進駐軍に接収され、米軍司令官の住居に。1950年(昭和25年)に接収解除されたのち、解体されました。同年、国家公務員の官舎が建てられ、警察宿舎や財務局官舎となります。

そして1960年(昭和35年)、この場所に国家公務員共済組合連合会の宿泊施設「広瀬荘」が新築されました。その建物が1997年(平成9年)から旭公民館になったのです。

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広瀬荘時代のしおりが館内に貼ってありました。

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前庭には車回しが。師団長官舎時代のなごりでしょうね。

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もと宿泊施設だっただけあって、公民館とは思えない旅情が館内にただよってました。

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型板ガラス「はつしも」。私はここでしか見たことがありません。たいへん貴重なものです。

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周囲のコンクリート塀については過去記事もご参照ください。
>>旭公民館のオールド・コンクリート塀

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基礎やコンクリート塀は戦前のものです。

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1974年頃の上記の場所。塀沿いに建物があったことが分かる。すでに広瀬荘は営業している時期で、ここは裏口方面になる。『大正昭和比較写真集1』より。

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基礎が万成石。

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【参考文献】
『岡山城下町武家屋敷絵図』(正富安治、1981年)
『大正昭和比較写真集1』(山崎一二、1974年)

posted by pictist at 02:59| 都市鑑賞

2026年03月17日

岡山観光ネット「表町商店街のレガシー(街角遺産)」編

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おかやま観光コンベンション協会が運営するサイト「岡山観光ネット」さんに協力しているシリーズの第3弾が公開されました。今回はライター仲間の溝口さんと一緒に歩いてます。

表町商店街シリーズの後編です。なんと、アーケード屋根を開閉してもらいました!

>>都市鑑賞者・内海慶一さんと行く町歩き〜表町商店街のレガシー(街角遺産)編

観光ネットさんのサイトを見たあと、下記の写真も併せてお楽しみください。

あのアーケード、開くんですよ。地元の方でも知らない人が多いんじゃないかと思います。ご協力くださった店主のみなさま、ありがとうございました。

こちらは中之町のアーケード。

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ギーッと鉄の軋む音が響いてアーケードが開き始めた瞬間、立ち合ったみんなから「お〜!」と声があがりました。

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スライドしながら、ゆっくりと開いていく…!

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光が射し込み…

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空が広がり…

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ふおーー

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じゃーん

こちらは上之町。

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シンフォニービルがこんな角度で見られるとは。中之町より上之町のアーケードのほうが開口部が長かったです。

機会があれば鑑賞希望者をつのって「アーケード開閉タイム」みたいなのができるといいんですけどね。イベントとして。

2〜3段落目で紹介している上之町3号ビルについてはこちらの過去記事もご参照ください。
>>上之町ビル(防火建築帯)1
>>上之町ビル(防火建築帯)2

4段落目で紹介している山陽ビルについてはこちらもご参照ください。メールシュートについても書いています。
>>山陽ビル(表町アルバビル旧館)のオールド送水口

そういえば山陽ビルの2階にあった喫茶山陽さんが昨年、閉店されたんですよね。知る人ぞ知る老舗店でした。

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5段落目で紹介している天満屋岡山本店についてはこちらもご参照ください。
>>天満屋岡山本店8号避難階段

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中之町にある右書きの「撒水栓」。コットンハウス タカキさんの前あたりにあります。

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こちらは記事にアップの写真が載っていないほうのオールド鉄蓋。下之町の脇道にあります。「水道」は左書きで「制水弁」が右書き。

私のライフワークでもある「見たことあるのに見えてなかった」をテーマに、次回も市内中心部のどこかをご紹介しようと思っています。

【あわせて読みたい】
(1)都市鑑賞者・内海慶一さんと行く町歩き〜岡山城の外堀編〜
(2)都市鑑賞者・内海慶一さんと行く町歩き〜表町商店街の看板編〜


posted by pictist at 00:51| 都市鑑賞

2026年03月01日

『全国暗渠観光ガイド:街と歴史のウラ名所めぐり』に取材協力しました

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「暗渠マニアックス」として活動する吉村生さん・山英男さんの新作『全国暗渠観光ガイド:街と歴史のウラ名所めぐり』 が発売されました。私は岡山市の章の取材協力をしています。

暗渠(あんきょ)とは蓋をした水路、またはその痕跡のこと。本書は全国29都市の暗渠を紹介しています。

暗渠には街の記憶が刻まれています。暗渠を鑑賞することは、その地域の歴史に触れることにほかなりません。

本書の惹句に「日常の何気ない風景の中に、大興奮の暗渠観光が待っている」と書かれていますが、大げさでなく暗渠は観光資源だと思います。

まずはご自身がお住まいの地域・行ったことのある地域の章を読んでみてください。きっと今まで見えていなかった「まちのウラ名所」が見つかるはずです。

岡山市の章で紹介している柳川暗渠については、おかやま観光コンベンション協会さんの記事や本ブログの過去記事も併せてご覧いただくと、より深く味わえるかと思います。

>>「都市鑑賞者・内海慶一さんと行く町歩き〜岡山城の外堀編〜」

>>岡山市の公式観光情報サイトに協力しました

>>五番町川と新柳川

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『全国暗渠観光ガイド:街と歴史のウラ名所めぐり』
山英男、吉村生 著
学芸出版社
A5判・192頁(オールカラー)
2300円+税
2026年2月28日発売
ISBN 9784761529642

>>版元ページ

【目次】
はじめに
事例マップ

第1章 暗渠を味わうと、街の魅力が見えてくる
1-1 “暗渠を味わう”って?
1-2 ウラ名所としての暗渠

第2章 どんな街でも愉しめる暗渠めぐり
2-1 実はもう観光資源になっている「名所暗渠」
1 高知市|名所「はりまや橋」は暗渠に架かっていた
2 川崎市|地域を支えた用水ラビュリンス
3 横須賀市|暗渠で味わう「ドブ板通り」
4 千葉県各所|野馬土手にはいい暗渠がついてくる?
5 山形市|生き続ける水路網の陰に惹かれて

2-2 観光地のウラを行く「穴場暗渠」
1 鎌倉市|これぞ「鎌倉十(暗)橋」…大仏見ずとも橋を見よ
2 京都市|暗渠で感じる京みやび
3 大阪市北区・福島区|水面と橋を想像しよう──妄想オリエンテーリング
4 大阪市東成区ほか|キタ・ミナミ・ニシに負けない、ヒガシの暗渠的名所
5 奈良県・大阪府|環濠集落の痕跡としての水路めぐり
6 小樽市|美しき運河の裏に流れる川の歴史
7 小諸市|穴城の街に流れる穴の川
8 名古屋市|裏名古屋の幻の川を追う
9 北九州市|レトロの時代に流れていた幻の運河
10 鹿児島市|石橋王国・鹿児島に眠る、最後の石橋暗橋
コラム1 暗渠とまちづくり──暗渠という切り口の「効き目」やいかに

2-3 観光地でなくても行きたくなる「日常暗渠」
1 盛岡市|A walkable gem暗渠
2 横浜市|横浜郊外に現るホネホネ暗渠
3 福岡市|輝く暗渠黄金地帯
4 徳島市|塩田が作った暗渠の迷宮を彷徨う
5 江戸川区・葛飾区|鉄道橋梁から水路に思いを馳せる
6 文京区〜豊島区|池袋の裏を流れていた川と橋のものがたり
7 宇都宮市|陰と陽、2つの川の交わる場所で
8 土浦市|街の栄枯盛衰を見守る暗渠
9 岐阜市|たくさんの名所を演出するフィクサー暗渠
10 神戸市|暗渠で感じる、ドボク神戸の底力
11 新潟市|堀に架けられていた橋めぐり
12 岡山市|城下町の堀と桃色の石
13 高崎市|小麦グルメの街の暗渠
コラム2 暗渠の下をくぐる道特集

2-4 暗渠がない場所の暗渠的味わい方
1 下野市|見えないものを見る 〜水辺の異界〜
2 軽井沢町|暗渠めぐりの本質は探す愉しみ、想う愉しみにあり
3 金沢市|開渠から暗渠を偲ぶ

見つけて愉しむ暗渠見どころ写真館
さっぽろ〔河〕クエスト(札幌市)/用水路にそびえる水門の銘板(青森市)/暗渠の蓋の上に設えた電話ボックス(栃木市)/心を豊かにするスイッチがたくさんある暗渠(さいたま市)/ペイント暗橋という新展開(墨田区)/橋を愛する街の鋼材ベンチ(江東区)/ワンダーランドの入口、駅前暗橋駄倉橋(狛江市)/みんなで見つけた観光資源、八百八橋(川崎市)/水との戦いが生んだ奇景(藤沢市)/謎が謎を呼ぶ暗渠プール(岐阜市)/まるで事件現場、横たわる謎の橋(名古屋市)/「庁舎蓋」と姿を消した川たち(東郷町)/駅から1分、日本最大級暗橋(堺市)/消えゆくものへの想い募る暗渠(洲本市)/暗渠・銭湯・遊郭跡が放つ独特の雰囲気(米子市)/新しい街に上書きされそうな暗橋(南国市)/魅力あふれる島に、白く輝く暗渠道(壱岐市)

第3章 街に潜む暗渠を探すには 〜全国の暗渠サイン〜
3-1 川があった時代からそこにあるもの
3-2 暗渠化されたことでできたもの

おわりに

ーーーーー
posted by pictist at 04:56| 都市鑑賞

2026年02月11日

岡山観光ネット「表町商店街の看板」編

おかやま観光コンベンション協会が運営するサイト「岡山観光ネット」さんに協力しているシリーズの第2弾がアップされています。

今回は表町商店街の看板を紹介しました。
>>都市鑑賞者・内海慶一さんと行く町歩き〜表町商店街の看板編〜

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都市鑑賞者にとっては看板の鑑賞というのは基本なんですが、ほとんどの方はわざわざ立ち止まって看板を見ることってないんじゃないかなと思います。

表町商店街をよく知っている方も、「観光」目線であらためて商店街を味わってみてほしいです。もちろん、旅行者のみなさんも。

上記リンク先の記事を読んだあとに以下の写真も補足でご覧ください。

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上之町の服部時計店/1896年(明治29年)創業

表町(おもてちょう)商店街は上之町(かみのちょう)、中之町(なかのちょう)、下之町(しものちょう)、栄町(さかえちょう)、紙屋町(かみやちょう)、西大寺町(さいだいじちょう)、新西大寺町(しんさいだいじちょう)、千日前(せんにちまえ)の8つの商店街で構成されています。

岡山市にはぜんぜん別の場所(東区)に西大寺という地域があるのでお気をつけください。
>>西大寺鑑賞

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1991年(平成3年)に設置されたジュエリー看板

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昔から「いい看板だなー」と思っていたので、今回紹介できてよかったです。

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店内には戦前の柱時計があります(アメリカの時計メーカー・ウォルサム製)。服部時計店さんは岡山大空襲で被災しましたが、この時計は「疎開」させていたため無事だったそうです。


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中之町の佐々奈美精肉店/1919年(大正8年)創業

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これは同じ場所で2018年に撮影した写真。当時は精肉の冷蔵ケースがありましたが、現在は陳列をせず、注文に応じてお店の奥でカットしています。

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この立体看板は内部に照明がともる仕組みになっているのですが、普段は点灯していません。もし灯りがついているところを見かけたらラッキーです。

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「肉の」もいいですね。


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中之町、子供服のかんさい/1946年(昭和21年)創業 ※制服メーカーとしては戦前から営業していました
二階の小窓も凝ってます。

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サンリオみのあるイラストレーション
以前、マニアパレルさんが岡山に来たとき、これを見て写真撮ってました。まあ、撮りますよね。

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突きだし看板も味わいがあります。

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年々、街から消えていくガラスのネオン管。今のうちに鑑賞しておきましょう。

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同じビルの中にある「喫茶タンポポ」の看板


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観光ネットさんの記事では紹介できませんでしたが、栄町のレディスショップ セキバの文字もすてきなのでぜひご鑑賞ください。濁点がお花になっててかわいい。

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同じく栄町のフヂ井洋装店の文字もすてき。


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紙屋町の木畑商店。この写真は2016年に撮影したものですが、今もほとんど変わっていません。

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これも2016年撮影。


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新西大寺町商店街の連作アクリル看板はこちらの記事をご参照ください。2022年の記事なのでなくなったお店もいくつかありますが、撮影したものを一通り載せています。
>>新西大寺町商店街の看板コレクション


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新西大寺町では手芸店のタナベさんもかなり古く、創業は1900年(明治33年)とのこと。当初は呉服屋さんだったそうです。

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店内はボタン天国


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閉業されましたが、2016年に「岡山オルタナティブマップ」で紹介した創美の名作看板もまだ残っています。

岡山観光ネットさんの記事でもコメントしていますが、私が文字のデザイン(タイポグラフィの一分野)を鑑賞する楽しみを知ったのは藤本健太郎さんの『タイポさんぽ: 路上の文字観察』(誠文堂新光社、2012年)という本がきっかけでした。岡山県内で採集した文字もいくつか載ってますので、機会があったらぜひ読んでみてください。
>>2016年に出た改訂版『タイポさんぽ改 路上の文字観察』


次回は「表町商店街 レガシー編」と題して、オールド送水口などの貴重な「岡山の無名文化財」を紹介する予定です。

今後も新しい「観光資源」をどんどん紹介していきたいと思っています。


【あわせて読みたい】
「都市鑑賞者・内海慶一さんと行く町歩き〜岡山城の外堀編〜」


posted by pictist at 00:28| 都市鑑賞