以前、
「柳川ロータリーの謎」という記事を書いた。岡山市の柳川交差点は、過去に一度もロータリー交差点だったことがないのに、なぜか岡山市民から「ロータリー」と呼ばれている。その謎を追ったものだ。
ざっくりまとめると、「柳川交差点はかつてロータリー化する計画があったが、計画は途中で変更された。しかしなぜか計画変更後もロータリーと呼ばれ続けることになった」という内容だ。
また、柳川交差点だけでなく市内6ヶ所の交差点(柳川、大供、大雲寺、清輝橋、十日市、門田屋敷)がロータリー化される予定だったが、同じく計画は変更され、すべて信号式の交差点になったという経緯も書いた。大供(だいく)交差点や大雲寺交差点も、なぜか「大供ロータリー」「大雲寺ロータリー」と呼ばれている。
その後の調べで驚きの事実が判明した。
その6ヶ所の交差点のうち、
大供交差点は、かつて実際にロータリー交差点だった時期があるのだ。このことは完全に忘れ去られている。
大供交差点(岡山市北区)
下記は1951年(昭和26年)発行の『山陽年鑑 昭和27年版』に掲載された企業広告。所在地の記載を見てほしい。カッコの中に「大供ロータリー」と書かれている。

戦災復興計画に基づいて大供交差点が整備されたのは1958年(昭和33年)のことだ。他の交差点と同様に大供交差点もロータリー化される「計画」だったが、変更されている。
交差点の整備工事が始まるはるか以前の1951年(昭和26年)の広告で、場所をナビゲートするための手がかりとして「大供ロータリー」と表記されているのは、いったいどういうことだろう。
答えは一つしかない。大供交差点は、「整備される前はロータリー交差点だった」からだ。
前記の「市内6ヶ所の交差点がロータリー化される予定だった」という内容とは、実は矛盾していない。大供交差点だけは、「ロータリーからロータリーへ」整備される予定だったのだ。
もう一つ例を挙げよう。下記は宰府俤さんという方が1955年(昭和30年)に『岡山畜産便り』という業界紙に寄せた文章の一節だ。
「拙宅は、岡山、倉敷間の国道沿いで大供のロータリーを去ること西方約4kmの処にあるが、この間の国道沿線は、1、2年前までは備前平野の一角をなす美田の連続であった。」やはり「大供のロータリー」と綴っている。
本当にロータリー交差点だったのだろうか。また、いつロータリー交差点になったのだろうか。
ここに、昔の大供交差点の航空写真がある。これは岡山大空襲の直前、1945年(昭和20年)5月に米軍が撮影したものだ。

岡山シティミュージアム「第46回 岡山戦災の記録と写真展」展示写真よりトリミング
※クリック(タップ)で拡大できます。
中央島がはっきりと写っている。なんと戦中からすでにロータリーだったのだ。残念ながらロータリー化されたのがいつのことなのかは分からなかった。ただ、日本で最初にロータリー交差点ができたのは1934年(昭和9年)なので(和田倉門ロータリー交差点)、それ以降であることは確かだ。
大供交差点も空襲の被災範囲に入っているが、戦後もそのままロータリー交差点として運用され続けたのだろう。
この新たな発見を踏まえると、「柳川ロータリーの謎」が、以前より少しクリアになってくる。岡山市中心部には終戦前からロータリー交差点が存在していた。戦災復興計画で交差点が整備される前から、岡山市民はロータリーという言葉を使っていた。だから新しく整備され始めた「ロータリー化される予定の」交差点を躊躇なくロータリーと呼んだのだろう。
もちろん、結局はロータリーにならなかったのだから、ロータリーと呼んでいるのはおかしい。しかし以前に比べれば、だいぶ分かり合えそうだ。少なくとも大供交差点を大供ロータリーと呼んでいることについては、いちおう納得できる。
また、大供交差点のそばに「ロータリー」という名前の老舗喫茶店があるのは、ここが実際にロータリー交差点だったからなのだ。
航空写真以外では、大供交差点がロータリーだった頃の写真を見たことがない。1958年(昭和33年)の整備「前」の写真がどこかにあれば、ぜひ見てみたいものだ。

整備「後」の大供交差点/『岡山市勢要覧 1963年版』
【参考文献】
『岡山市勢要覧 1963年版』(岡山市、1963年)
『山陽年鑑 昭和27年版』(山陽新聞社、1951年)
『岡山畜産便り 昭和30年11月・12月合併号』(岡山県畜産協会、1955年)
岡山シティミュージアム「第46回 岡山戦災の記録と写真展 証言からたどる戦争と空襲」展示写真
「岡山市内ロータリーにおける交通処理について」(1959年、『第5回 日本道路会議論文集』所収/太田龍亀、松原尚武、坂手康人)
「岡山市街地のロータリー交差点に由来する円形状空間の独自性とその活用に関する研究」(土木学会『土木史研究 講演集Vol.25』所収/北村尚子、樋口輝久、馬場俊介、2005年)
posted by pictist at 11:57|
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